説教の要約:2011年5月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2011年5月1日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この 戒めを、わたしたちは神から授かっている。
 (1ヨハネ4:21)
 
題「愛の戒めを心に留めよ」(創世記37:1-36,1ヨハネ4:19-21)
 
 
 
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第二主日礼拝:2011年5月8日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え。あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く命を保ち、さいわいを得ることのできるためである。(申命記5:16)
 
題「父母を敬うことの祝福」(申命5:16)
 神は父と母を敬うことを定め、それに伴う祝福の約束を与えた。またそれに反する場合に、罰則があり損失を被(コウム)る。
私たちの人生の根と幹の部分は、両親(あるいは自分を育てた人)や兄弟との関係による。
「敬う」とは、重んじる、栄光に溢れる、尊い、非常に素晴らしいという意味。高価な値段を付ける。正当なもの、確実なものとして受け入れる。良い評価をする、祝福する。
何に基づいて敬うのか。その人のなりやアイデンティティー。関係、地位、権威。業績や行いではない。人格と行いが区別されないと、3つの破壊的な態度が蒔かれる。@両親への反抗。(権威に従うことへの恐れ) A正されることを「拒絶」と受け取る B人格に基づいてではなく、正しい振る舞いによって敬われるという誤った観念を持つ。
神は創造の時に敬うべき領域と関係を確立した。
神の似姿。人類。男と女。結婚。子孫。立場。権威。「敬わないこと」の家系のサイクル
・親に尊重されなかった子供たちは、自分の親を敬わなくなる。(親は自分の蒔いた種を刈る取る。)
・自分の両親を敬わなかった子供たちは、結婚しても自分の伴侶や自分の子供たちを尊重しない。
・子供が親に反抗し、自分の好き勝手に歩み始めると、自分でどうしようもない悪習慣や破滅的な生き方のパターンが始まる。
悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木はない。愛は悪い実を結ばない。
自分の悪い行動を人のせいにしがち。 本当は自分の中の苦い根が原因である。
親を責めることからは癒しはこない
神の願いは、私たちが皆神の子であることを知ること。   (エリヤハウス祈りのミニストリー「父母を敬うこと」より)
 
 
 
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第三主日礼拝:2011年5月15日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。(マタイ6:20,21)
 
題「宝を蓄える 地上に? 天に?」(ルカ16:19-31,マタイ6:19-24)
 ある金持ちは贅沢に遊び暮らしていたが、一方で病人ラザロはこの金持ちの玄関先で食卓から落ちる物で飢えをしのごうと望んでいた。ラザロは死んでアブラハムの懐に抱かれ、金持ちは黄泉に下った。アブラハムは金持ちに、あなたは生前良いものを受け、ラザロは悪いものを受けたが、今ここでは逆になっていると言った(ルカ16:25)。主イエスは、「富んでいる人はわざわいで、慰めを受けてしまっている」と言われた。
 主イエスは、地上の宝と、天の宝について述べておられる。地上の宝は朽ち錆び失われるものであるが、天の宝は永遠に存続するものである。天に宝を蓄えるように勧められた。そして、心の目が暗いと全身も暗い、神と富に兼ね仕えることはできないと語られた。
 富める青年は、戒めに忠実であったが、持ち物を売り払って貧しい人々に施し、わたしに従ってきなさいと言われた時、主イエスの許を去って行った。主イエスは富んでいる者が神の国にはいるのはむずかしい、しかし、神には何でもできると言われた(マルコ10:17-)。
 愚かな金持ちのたとえ話は貪欲に対する戒めである。しかし人の命は持ち物によらない(ルカ12:15)。
 富自体は悪でも罪でもないが、私たちの目を真実からそらされ、神に対する真の信仰を損なわせる誘惑として働きやすい。貪欲は偶像崇拝である。(コロサイ3:5) 
 財産を主のために用いた場合もあり、宝をどこに蓄えようとしているか、神と富のどちらに仕えようとしているのかを問われる。日々、あるいは事あるごとに主に捧げていく時に、富や偶像の誘惑から守られる。
 
 
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第四主日礼拝:2011年5月22日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い(黙示録10:9)
 
題「御言葉を食べ尽くしなさい」(黙示録10:1-11)
 ヨハネ黙示録は使徒ヨハネが流刑の島で見せられた幻です。小羊により第七の封印が解かれ、7つのラッパのさばき(物理的宇宙的災害、地球上の戦争等々)、 そしてまさに第七のラッパが鳴り渡ろうとする審判の中の小休止の展開が10章であります。
◇1〜7節 強い御使いの宣言。「もう時間がない」神の世界の救いの計画は必ず成就する。その為に「人類の罪は、神の審判に会う」と告げます。この大迫害のただ中で「ほんとうに神はいるのか。なぜ助けられないのか」の疑いの渦中。だからこそ神はヨハネに、終わりまで耐え忍ぶ者は救われると、神の永遠の救いの計画は必ず成就されると自覚させられました。そして、
◇この救いの計画の御言葉をヨハネに預けるわけです。皆さん、聖書とは一体なに? それは生ける神の言葉ですと答えますが・・・・。神の約束が聖書なのです。約束の言葉がいかに真実であるか立証されたのが地上におけるイエス様の十字架の死です。」ヘブル9:16,17によって聖書の御言葉が生ける約束の言葉となりました。
◇ですから信徒は聖書を読むクリスチャンにならなかったら”にせもの”というわけです。読むだけではなく食べる。食べるということは必ずその人の血となり肉になります。消化してその人の一部になります。
◇8〜10節 御使いが食べるように命じた巻物は口には密のように甘いが腹には苦(にが)いものでした。御言葉は受け入れやすいものばかりではなく、受け入れ難かったり実践するには困難なこともあります。それでも私達が従う時、主のみわざと祝福が伴うのです。今苦く感じる神の語りかけも、受け入れ実践しましょう。
 
 
 
 
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第五主日礼拝:2011年5月29日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。(創世記39:3)
 
題「共におられて栄えさせられる主」(創世記39:1-23)
ヨセフの生涯に起こったこと。
1)兄たちに売られて奴隷の身に落ちた。しかし神はそこでヨセフと共にあって、ヨセフを栄えさせ、引き上げて下さった。ヨセフは侍衛長ポテパルの家に買い取られ、幸運な者となった。主人は主がヨセフと共におられて、なすことすべてを栄えさせているのを見たため、自分の近くに仕えさせ、また家のことをすべてヨセフに任せた。神は主に依り頼む者を守り栄えさせて下さる。
2)罪の誘惑がある。主人の妻がヨセフを誘惑し、罪を犯させようとした。しかし、ヨセフは神を畏れ、誘惑を拒み続けた。引き落とそう、滅ぼそうとする黄泉の力が働いてくる。しかし、サタンの誘惑に負けてはならない。自分は神所有のもの、神に属する者であることをはっきりさせる。主人の妻は他の者がいない時を見計らって、ヨセフを力づくで自分に従わせようとした。しかしヨセフは掴まれた服を脱ぎ捨てて逃げた。誘惑から逃げる。戦わない。悪しきものから離れなさい。神を畏れ神に従い続ける者を、神は引き上げ必ず祝福して下さる。
3)旧約聖書中。「なすところ皆栄える」。@申命記29,30章、モーセによる約束の地での戒め。A列王記2章、ソロモン王に対する戒め。B詩篇第1篇、戒めを守る。しかし、人は律法を正しく行うことにおいて、人をも、自分をも、まして神をも満足させることはできなかった。
4)主イエスはインマヌエルの主(マタイ1:23)。この方を通して、神が私たちと共においで下さることが実現される、そういう方としておいで下さった。イエス・キリストを主と告白するのは聖霊が宿っているから。聖霊はイエスの御霊。イエスが霊をもって私たちと共においで下さる。
 
 
 
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