説教の要約:2010年11月
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第一主日召天者記念礼拝:2010年11月7日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
イエスは彼女に言われた、『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』」(ヨハネ11:40)
 
題「信じるなら神の栄光を見る」(ヨハネ11:17-44)
 イエスは甦りであり、命である方です。この方は神が私たちを救うために送って下さった救い主です。この方を信じることによって永遠の命を頂くことができます。主イエス・キリストは愛する友人であり弟子である、マルタ、マリヤの祈りを聞いて、死んで4日も立っていた兄弟ラザロを生き返らされた。イエスは死んでいる者を生き返らせる力と権威を持っておられた方である。「私は甦りであり、命です。私を信じる者はたとえ死んでも生きる。」とおっしゃいました。イエスは後に私たちの罪のために十字架に架けられ殺されましたが、私たちが永遠の命に生かされるために3日目に甦らされました。死がイエスを墓に止めておくことはできません。そして、イエスはイエスを信じる者を終わりの日に甦らせる(ヨハネ6:39)とおっしゃった。その言葉の真実を裏付けるようにラザロを生き返らされた。ラザロは死ぬべき人間の代表です。イエスは死ぬべきものを負うている私たちに失われない命を与えることのできる方です。
 マルタ、マリヤは大きな悲しみに囚われていた。当然です。兄弟ラザロを失って心が死に向かい、失望してしまった。死の力に支配され、捕らえられてしまった。マルタは、「終わりの日の甦りは知っています」と言いつつも、その信仰が生きていない。いつもイエスに信頼していたマリヤが死の力・罪の力に捕らえられているのに激しい憤りと悲しみを持たれた。愛する者が悲しみに沈んで真理が見えない。主イエスは、「もし信じるなら、神の栄光を見るであろう。」と言われ、ラザロを甦らされた。御子を信じる者は、神が共におられて、命の働きに生きることができることを顕された。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第二主日聖餐式礼拝:2010年11月14日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
 
題「本当に大事なものは何か」(創世記25:19-34)
1)リベカの不妊のためイサクは主に祈り、願いが聞かれた。20年待った。リベカの体に双子が宿り押し合い、リベカは不安になって主に祈った。主は、胎に二つの国民が宿っており、兄は弟に仕えると言われた。主に祈り求める両親であった。
2)エサウが生まれ、そのかかとをつかんで弟ヤコブが出てきた。エサウは巧みな狩猟者で野の人となり、ヤコブは穏やかな人で羊飼いとなった。父イサクはエサウを愛し、母はヤコブを愛し、その偏愛は嵩じていった。
3)ある日、飢え疲れて猟から帰ってきたエサウは、ヤコブが煮ていた赤いあつもの(レンズ豆の煮物)が欲しくてたまらず、ヤコブに求めた。ヤコブは食べ物の代わりに長子の権利を売るように要求し、誓わせた。長子の特権は二倍の分を相続し家族のリーダーとなる特権であり(申命21:17)、神の特別の祝福であった。ひょっとしたらエサウの方がさっぱりしていて男らしい良い人間であったかも知れない。しかし、ヘブルの記者は、「また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。」(ヘブル12:16)と言う。長子の権、神の祝福を重んじないで目の前に自分の欲望を満たすことで満足する人であり、自分の内面を見つめず、罪や弱さを認めて神に救いを求める人ではなかった。一方ヤコブは母から言い聞かせられていたか、長子の権を熱心に求め、神の祝福を求めた。食べ物を引き替えに長子の権を売るように兄に誓わせたり、父イサクを母と共謀して騙して父からの祝福を受けてしまう行為は間違っているが、求めにおいて熱心であり、後の問題の火種をとなるが、神の憐れみによってヤコブは祝福の継承者となっていった。まず神の国と神の義を求める者、神の永遠的な祝福に望みを置く者となりたい。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第三主日礼拝:2010年11月21日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
互いに重荷を負い合いなさい。」(ガラテヤ6:2)
 
題「神の家族・負い合う関係」(ガタテヤ6:1-10)
☆主イエスは敵意という隔ての中垣を取り除いて、十字架によって二つのものを一つにし、神と和解させ、敵意を滅ぼした。御霊にあって神の家族とされた。そしてキリストご自身が隅のかしら石である建物に組み合わされ、霊なる神の住まいを建て上げる者とされた。(エペソ2:11-22)
☆それぞれ霊の賜物に応じて働きを担い、キリストのからだを建て上げる。「神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、・・・・愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達する。・・・愛のうちに育てられていく。(エペソ4:11-16)
☆この関係は互いの負い合い、仕え合い関係である。(ガラテヤ6:1-10)
主イエスは弟子たちを集めて共同体を作られた。神の家族(エペソ2:19)となった。キリストの弟子たちはお互いに横の関係で互いに仕え合い、重荷を負い合う関係である。役割は様々であるが、キリストのからだを建て上げ、キリストに似た者となり、キリストに達することが目標である。力量にふさわしく働き、備えられ、結び合わされ、愛のうちに建てられる。2,3人から15人ぐらいまでの共同体で、その中で礼拝、伝道、訓練、奉仕を行う。またその小グループが集まって全体の祭典的礼拝を持つ。この共同体は事ある毎に親密な交わりや関係を持ち、分かち、学び、祈り、支え、負い合う。この中では裁かない。秘密を守る。オープンに話し合える雰囲気が大事。ビジョンを分かち合う。共同体は集会自体ではなくその交わりであり、集会から集会の共にある生活が共同体である。使徒行伝2:42-47。分かち合える雰囲気が大事にする。キリストにある心の交流を大切にしたい。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
 
第四主日礼拝:2010年11月28日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)
 
題「時が来れば成就するわたしの言葉」(ルカ1:5-25)
 今日から待降節、主イエスの誕生を祝うクリスマスを待ち望む期間が始まります。
(1)ルカ1:1 私たちの間で成就された出来事を。イエスの誕生700年前に預言者イザヤは一人のみどりごが生まれる(9章)。40章には救い主を迎えるため荒野で声を上げる人(洗礼者ヨハネ)が起こされると語りました。その時が来て神の約束の言葉は肉体をとり、みどりごとして実現しました。
(2)ルカ1:5−25 ザカリヤは長い間祈っていたけれど高齢の自分たちに子供ができるなどいくら神様でもと信じられなかった。信じないザカリヤに対して、天使ガブリエルは、時が来たら神の言葉は成就するのだと言い、ザカリヤは話せなくなりました。一年後に本当に妻エリサベツに男子が生まれました。ザカリヤは神に言われた通りヨハネと命名しました。話せるようになったザカリヤは心から神をほめたたえました。
(3)ルカ1:26−43 ナザレの町の一処女マリヤに天使ガブリエルが現れました。「聖霊により男子を生みます。その名をイエスと名付けなさい」これはザカリヤに告げられたことよりはるかに信じられない内容でした。マリヤは当然ひどく戸惑いました。しかし彼女は、「わたしは主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と告白しました。
 45節「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は何と幸いなことでしょう」。マリヤに会ったエリサベツがマリヤを讃えた言葉です。信じきるとはどうすることでしょう?み言葉の通りにと自分ではなす。固執しないことです。不安が来ます。しかし主の愛を信じて任せる時、聖霊による自分が生かされているのです。聖霊の助けにより、信仰もって歩みましょう。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------