説教の要約:2010年1月
 
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元旦礼拝
:2010年1月1日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。「あなたはペテロである。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」(マタイ16:16,18)
 
題「信頼関係を築く土台」(マタイ16:15-27)
1)神が送って下さった主イエスは、「わたしの教会を建てる」と言われた。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白する者を用いて、神に召し出された者たちの共同体、教会を建てると言われた。キリストとは油注がれた者を表すギリシャ語であり、この3職を兼ね備えた方として、神は主イエス・キリストを遣わされた。王として神の支配を実現する、預言者として神の言葉を語りそれが実現させる、祭司として神と人との仲介をする方である。このイエスを通して、その名のように「神はわが助け」という出来事が実現した。
2)教会は黄泉の力に打ち勝つ権威を与えられている。黄泉とは死者が行く所、命のないすべての者が死んでいる、闇の世界、墓の中、地の中にある世界、死の世界である。黄泉の力とは黄泉の門とも訳されるギリシャ語で、その門が突然に開いて、死の力が向こう側から飛び出してきて、ものすごい力で捕らえていく。それに打ち勝つことはできない。しかし、教会はキリストから、この黄泉に打ち勝つ力、権威を与えていると言われる。
3)このキリストは、苦しみと死と甦りを通して人々を黄泉の力に打ち勝つ力を与える方である。ご自身が人々の罪を負うて捨てられ、十字架に架けられて殺され、黄泉に降り、3日目に甦らされ、天に昇られ、聖霊を送って下さり、聖霊を通して、日々私たちと交わって下さる。
4)主イエスの弟子とされた者は、日々、自分の十字架を負い、主イエスに従っていく。この教会の共同体の交わりや奉仕を通して、黄泉の力から守られ、また勝利していく。
 主イエスに赦され、愛され、生かされて従って行く所にこそ、教会の兄弟姉妹が本当に心を開いて赦し合い、分かち合える土台がある。
 
 
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第一主日礼拝:2010年1月3日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。(ローマ12:9,10)」
 
題 「主にあって善を図り合う関係」(ローマ12:9-18)
☆神の家族の関係、交わりはどんな関係でしょうか。聖書は善を図ることを勧めています。しかしまた一方で主イエスは偽善について厳しく戒められました。
 人と人との信頼関係を築く上で、相手に利をもたらし祝福する、最善を図ることが大切でしょう。
 神が天地を創造された時、「神は見て、それをよしとされた」ことが繰り返し語られています。しかし最初の人が罪を犯して堕落した後、罪が入りました。「善を行う者は一人もいない」(詩篇14:3)「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。」(ローマ12:18)
☆誰もできない善を行うように神は求めておられるのでしょうか。永遠の贖いと永遠の大祭司によって全うされた救いによって、永遠の聖霊が死んだ業を取り除き、生ける神に仕えるようにして下さる。(ヘブル9:11-15)
 良い実を結ぶためには善い木に変えられなければならない(マタイ12:33-35)。「良い行いをするためにキリストイエスにあって造られた。」(エペソ2:10)「善をもって悪に悪に勝ちなさい」(ローマ12:21)他者に善を行う者に永遠の命や勝利を与えられる。(ヨハネ5:29)
☆神の善は目先の慰めではなく、人類のための長期にわたる幸福を与えるものである。「神は神を愛する者たち・・・・万事を益として下さる」(ローマ8:28)もその視点で見るべきである。究極的に善である神は、その知識と知恵を用いて、私たちの最善を図って下さる。主イエス・キリストがこの人にどんな最善を成そうとしておられるのか、という視点でお互いの最善を図る者とさせていただきたい。
 
 
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第一主日礼拝:2010年1月10日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである(マタイ28:19,20)」
 
題 「行って全ての国民を弟子とせよ」(マタイ28:16-20)
 主イエスは復活後、ガリラヤの山で弟子たちに会い、伝道の使命を与えられた。
@行って、全ての国民を弟子とする。
 教会に、教会の仲間の中に閉じ籠もっているのではなく、人々の中に出て行く。関係作り。家族、友人、近所、地域、職場、全ての所で、すべての人に、福音を伝える。人々を愛する。仕える。交わりの中で御霊の実(愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)を結んでいく。
A父子聖霊の名によってバプテスマを施す。
 父子聖霊の神の支配のもとで洗礼を受け、教会の仲間に属する。主イエスの死と甦りに与る。古い自分に死んで、キリストの命に与る。自分のものではなく、神のものである。
B主イエスの命じたことを守るように教える。
主イエスは山上の説教を語られた。マタイの5ー7章。8福の教え。律法の教え。殺してはならない。姦淫してはならない。・・・しかし、上辺だけを装うこともできる。神は心の中を見ておられる。パリサイ人に勝る義。戒めという点では、新しい戒め、互いに愛し合いなさい。足を洗い合いなさい。世のサタンの力に圧倒されそうに思える。自分自身に弱さもろさを感じる。しかし、この世の行いの完全ではない。完全であられる主イエスの義にあずかる、信仰によって義とされる。
 
 
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第一主日礼拝:2010年1月17日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
「万軍の主の熱心がこれをなされるのである。(イザヤ9:7)
 
題 「主なる神の熱愛」(イザヤ9:1-7)
 イザヤ書は旧約聖書の福音書とも呼ばれています。この書ほどキリストに関する預言が多く、しかもはっきりと記された書物はありません。特にキリストの処女降誕、ダビデの子孫からメシヤが生まれる、苦難の僕、等々、キリストが生まれる700年前これほどはっきりと預言したことは驚嘆すべきことです。これによって神の人類に対する救いのご計画がいかに雄大なものかを知ることができます。
 イザヤの時代、歴史背景はイスラエル・ユダの最暗黒時代の唯中で、国は滅び捕囚(敗戦と他国に移る)される。その中で神はイザヤにより、
<1節>苦しみにあった所に闇がなくなる。はずかしめを受けたが後には光栄を受けた。
<2節>死の陰の地に住んでいた者たちの上に光りが照った、と預言され、それは”ひとりのみどりご”によって実現すると。そのお方とは、<6節>
1.霊妙なる議士 驚くべき指導者(新共同訳)、すばらしい相談役、ワンダフルカウンセラー(英訳)
2.大能の神・力ある神様 ヨハネ16:33 イエス様は「わたしはすでに世に勝っている」と言われた。
3.永遠(とこしえ)の父 時代をこえて慈愛の父である。
4.平和をもたらして下さる王様、平安な心。
 この神の言葉を誰も信じなかった。しかし700年のち救い主みどり子は誕生しました。「万軍の主の熱心がこれをなさる」<7節> 人類を愛しやまない神の熱愛が実現させられたのです。私たちは神様を信じると言いながら状況が悪くなると神の約束や方法以外の道を探します。信仰とは、神様がなさる時までひたすら祈り、望みと忍耐を持つことです。折(お)りにかなった恵みを下さる神様を信頼して今年も前進しましょう。
 
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第一主日礼拝:2010年1月24日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。』(創世記12:1,2)
 
題 「神の約束と教会」(創世記12:1-9)
 神は旧約における契約をイエス・キリストを通して新しくし、物質的祝福のみならず、御国の霊的祝福に豊かに与る者として下さった。
☆旧約
1)アブラハム契約。神は神の言葉に従って旅立ったアブラハムを導き、約束を与え、契約を結ばれた。それは子孫を増し加え、嗣業の地を与えることであった。地域を支配する王に勝利し、100才にしてイサクが与えられ、子孫が加えられていった。
2)シナイ契約。神はイスラエルの人々が奴隷とされている地エジプトから脱出させ、シナイ山で、十戒を含む律法を与え、神の民が守るべき戒めを教えられた。この中には罪の赦しを与える捧げ物の規定もあった。 3)ダビデ契約 4)新しい契約の預言
☆新約
1)主イエスによる罪の赦しの新しい契約
 「これはわたしの契約の血です。罪を赦すために、多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:28) イエス・キリストの流された血が、シナイ契約の贖い規定を完全にする罪の赦しの供え物であり、またイエスご自身が真の至聖所である天に入る仲保者である。天から送られる聖霊が心に働き、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する従順な思いを与え、御心を行わせ律法を全うさせて下さる。イエスを主と告白する者たちの群れである教会は、罪の支配にある人々に遣わされ、黄泉の力、サタンの力から解放し、命に与るために仕え、神の霊的祝福に共に与る。(マタイ16:18,19、18:15-20)
2)信仰によるアブラハムの子孫
 主イエス・キリストにある信仰によって神の子とされ、アブラハムの子孫となり、約束の相続人とされる。天の嗣業を与えられる。(ガラテヤ3:26-29)
 
 
 
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第五主日礼拝:2010年1月31日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
見よ、わたしが選んだ僕、わたしの心にかなう、愛する者。わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。」 (マタイ12:18)
 
「神の子・神の僕」(マタイ12:13-18)
 「パイス」はしもべを意味する言葉ですが、子、息子を意味する言葉にも使われます。奴隷制度におけるしもべは主人の財産であり、主人に服従しなければなりません。しかしパイスはしもべでありつつ、その主人の家族の一員とされた者です。私たちは罪の奴隷で滅びに向かっていた者ですが、悔い改め、主イエスを信じて、神の幼子の身分を得た。神の民、神の家族に加えられた。その家の持つ豊かさ、一員としての目標や交わりに与る者とされました。主イエスは神の御子であられたが、神の僕として私たちに仕え、ご自分の命さえも捨てて下さったからです(マタイ20:28)。
 私たちは主イエスを信じる信仰によって神の家族に加えられた者であり、神の家族の一員です。神の養子に迎えられた者であり、御霊が与えられ、御国の遺産を受け継ぐ者です。と同時にしもべとして神に仕える幸いや祝福に与る者とされている。神の僕は主人(神)に仕える。憐れみ深い、豊かな主人に仕える。残酷な、自己中心的な主人(サタン)ではなく、しもべを愛し、家族として養い育て、豊かにして下さる。そこに生きる者は幸いです。
「御霊によって私たちが神におり、神が私たちにおられることを知る。」「私たちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。」(1ヨハネ4:13,17)
 神の子イエスの本質は、「息子」であり、「しもべ」であることでした。このことは私たちにも当てはまります。私たちが神の子供としてと同時に神の僕として神に仕えましょう。サタンの力、黄泉の力が強く働いてくるこの世にあって、神の僕として服従する姿勢が勝利していく上で必要です。