説教の要約:2009年10月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2009年10月4日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイ6:10)
 
題 「御国が来ますように」(マタイ6:9,10、ルカ17:20,21)
1)主イエスが、「御国が来ますように。御心が天に行われるとおり、地にも行われますように」という祈りを教えて下さった。また、「神の国はあなたがたのただ中にある」と言われた。
2)聖書には三つの天が書かれており、第一の天は、私たちが住む地、この世界である。第二の天はサタンの領域、空中の権威を持つ支配する霊、天におるもろもろの悪霊の支配する世界(エペソ2:1-2、6:12)であり、第三の天は神の御住まい、天の御座、神の御心が完全に行われている所である。この地上にありながら、高慢や反抗、闘争、破壊を行わせるサタンや悪霊の支配を受ける(第二の天に通じる)し、また、一方で、キリストと共にあって天の御座におかれる御霊によって支配される(第三の天に通じる)こともできる。
3)主イエスを信じる以前は、「自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、・・・この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていた」(エペソ1:1,2) しかし、「あわれみに富む神は、・・・わたしたちをキリストと共に生かし・・・キリスト・イエスにあって共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さった」(エペソ2:4-6) 主イエスを信じる者は、御国に新しく生まれた者、御国に属する者、神の子である。
4)神は天地を創造され、その管理を人に任されたが、サタンは神に逆らうようにと誘惑し、罪を犯させた。サタンは破壊者であり、神や人との関係を壊そうと働く。人間の歴史において行われてきた残虐行為や霊的腐敗はサタンの仕業である。神は終わりの時に天地やサタンの勢力を滅ぼして、新しい天と地を造られる。
5)救われている私たちは、第三の天と常に交信を持ち、御国がこの地に、わたしの内で、わたしの生活に、主にある交わりに実現されていくように働きたい。そのためにサタンに属するものを捨てていきたい。
 
 
 
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第二主日礼拝:2009年10月11日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マタイ27:46)
 
題 「私達への怒りを負われた主」(マタイ27:45-66)
『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』
 主イエスはいつも父なる神の御顔を仰ぎ、天と交信を持ちつつ歩んでおられたが、この時、御顔が見えず御声が聞こえない所におられたその叫びであろう。人の罪を負うて、父なる神の御前に立たれ、神の裁きを受ける人となって下さった。(イザヤ53:4) キリストこそ人の罪の深さ、恐ろしさ、惨めさを知っておられた。罪がいかに悲惨を生み、不幸を生んでいるか、罪が神の御前に激しい怒りと厳しい裁きを引き起こすかを知っておられた。だから神に捨てられた、あるいは神を敵に回したかのような場におかれた時、良心に深い不安の苦しみを負われ、言葉に表せない絶望を味わわれたことであろう。
 人の世に、戦争、闘争、裏切り、憎しみ、敵意を引き起こさないではおれない、貧困、差別などがあり、罪の連鎖を引き起こす。その中で私たちもまた深い絶望や悩みを味わわされる。それらは他者から来るというのではなく、自分自身の中にそれらを引き起こすもの、それらに呼応するものがあり、その根がある。肉の欲求やサタンの働き、その流れに対して自由ではあり得ない。しかし、主イエスご自身が父なる神の御許から来られ、私たちに先立って人として生き、苦しみ、悩み、人ばかりでなく父なる御神に捨てられる絶望の極地を味わわれ、死者の下る黄泉にまで降って下さった。だからこそ、主イエスはあらゆる人の孤独、闇、絶望の底にまで伴って下さり、思いやって下さる方である。この主を神が生き返らせ、私たちもこの命に生かして下さるから、私たちが今、苦難や失望の中にあって、先が見えなくても、主イエスのこの絶望の叫びに耳をじっと傾ける時、新たな望みを持つことができる。主イエスが私の愚かさも惨めさも罪も不信仰もみな負うて死んで下さったから、私が自分で立派に飾る必要がない。
 
 
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第二主日礼拝:2009年10月18日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(ルカ4:8)
 
題 「御国の価値観を選択する」(ルカ4:5-8)
1)サタンは主イエスにこの世のあらゆる権威と栄華をあげるから、私を拝みなさいと誘惑した。人を支配すること(支配欲)、人々に認められること(虚栄心)は人の根本的な欲求であり、人間の最大の欲望である。私たちは子供時代から染み込んでいる価値観を通して物事を考える。それにはその国、地域、家族が持つ文化や伝統的習慣が練り込まれており、無害ではなく、悪魔から来るものもある。それに気づき、捨て、新しいものに変えていただかなければならない。
2)ソロモンは神から空前絶後の知恵と判断する心を与えられ、知恵と権力を尽くして、人の求める栄華や楽しみを追求し手に入れたが、その結果それらが空しく、神を畏れ神の御心を行うことに勝るものでないことを悟った(伝道の書)。サタンは巧妙に害がなく幸せを約束してくれそうなものに目を奪わさせ、偽りの幸せや平安を追いかけて人生を浪費させようとする。人は恐れに支配され、人生において大切なものを見失ってしまう。貧困を恐れ、自分の子供の面倒を見る時間を惜しんで働き、巨額を貯蓄したが老後の世話をしてくれる人がいなかった人の話がある。サタンが見せる偽りの平安や人生の目標に目をくらまされてはならない。
3)怒りや不和を生じることを恐れて、クリスチャンでない親や家族にずっと福音を伝えずにいるとするなら、その人は何に支配され、価値観を置いて生きているのか。サタンの支配に屈しているのではなく、御国に属するものを選び取っていきたい。
4)「わたしの他に、他の神々があってはならない。」人は財産や権力、快楽、持ち物(車、家・・・)、暮らし向き、食物、さまざまなものを偶像とし、神様よりもそれを愛し易い。しかしそれは過ぎ去り、失われるものである。主イエスは王の王として最期に来られる方である。偶像を排して、神との関係を他のものに勝って重んじ、御国に属するものを求めていきたい。
 
 
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第二主日礼拝:2009年10月25日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」(ヘブル13:6)
 
題 「 「主はわたしの助け主」― 恐れません ― (ヘブル13:1-8)
 皆さん、ヘブル書は取っつきにくい書簡と思われますか。それはユダヤ人(ヘブル人)に大試練が起こった時代に書かれたもので、ヘブル人に理解しやすい祭司、聖所、贖い等々の言葉がたくさん出てくるからです。それは異邦人クリスチャンは理解しにくい言葉です。私は8月に4章15節より、「大祭司イエスさま」と題してお話しいたしました。今朝は最後の章より、私たちの実生活についてです。
(1) ヘブル13:1〜3。社会生活で兄弟愛を続けなさい。4,5節。個人生活について。人間の罪の根源は性か金かと言われますが、ここでまず第一に結婚を重んずべき事。神は夫婦の性愛を祝福されました。しかしまた、罪によって動物的になってしまうことも知っていて、「姦淫してはならない」「隣人の妻を欲しがってはならぬ」と戒めています。
 また「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい」と。(参照ヨブ22:24〜26)
 それは主は、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と約束されたからです。
(2)6節。私たちは、人が自分のことを何と言っているか?、ということでどれだけ思いわずらっていることでしょう。子育て、学校、職場、人生最後の生活で。サタンは人を通して恐れさせ、思いわずらわせて、信仰の成長を止めさせようとします。私たちは声を大にして、はばからずに言おう、「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は私に何ができようか。」しっかり告白しましょう。
 次週は召天者記念礼拝です。私達を教導してくださった牧師先生、信徒兄姉の信仰を思い起こしたい。しかしみな、天国民になられました。けれど、「イエス・キリストはきのうも今日もいつまでも変わることがない」。この主に導かれて一歩一歩手を取り合って進みましょう。