12月15日(日)「待降」説教要旨

           聖句
旧約
 「ひとりのみどり子がわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって、これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」  (イザヤ9:6-7)

新約
 「六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのところにきて言った、『恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます』。この言葉にマリヤは、ひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。すると御使が言った、『恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう』。そこでマリヤは御使に言った、『どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに』。御使が答えて言った、『聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリザベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神にはなんでもできないことはありません』。そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように』。そして御使は彼女から離れて行った。」  (ルカ1:26-38)

  「異邦人のガリラヤ」、はじめここには、救い主の誕生にふさわしいものは何一つありません。そうとすると、それは上から以外にはありません。このように人間の側には何もなく、ただ神から来るという時、それはただ「恵み」によって起こったのです。御使とはこのように「人間の不可能性のところに現れる神の可能性」です。御使の出る時、私たちは上からの神からのものであると知らなくてならないのです。

  それで御使は、「恵まれた女よ、おめでとう」と言ったのです。では恵みの内容は何でしょう。「主があなたと共におられます」、つまり「インマヌエル、神われらと共に」なのです。今おとめマリヤに現れたのは、恵み、このような神の無限の深い愛にほかならないのです。クリスマスと共に、私たちが語り、伝えなければならないのは、このような甚大な、広大な神の愛であります。マリヤは、あまり広大すぎて、その恵みが不可解でした。しかし、恵みが不可解であるという、その私たちの不信を解消させるのも、また同じ恵みです。「聖霊があなたに臨んだ」、「聖霊とは私たちを有効的にキリストと結ぶ帯である」(カルヴァン)。ここで不信のマリヤを信仰へと導いたのも聖霊にほかなりません。聖霊があなたに臨むなら、あなたに不可能ということはありません。ここでは逆転が起こるのです。天使とは、このように私たちの不可能性のところに立つ、神の恵みの可能性にほかなりません。

  「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように』」。これがすべてです。これ以上何が必要でしょうか。聖霊を通して働く神の恵み、それ以外何が必要でしょうか。確かにもう一つ必要なことがあります。それはこの絶大な恵みの力を受け入れる信仰です。「お言葉どおりこの身になりますように」、この信仰の言葉です。そしてほかでもなく、その信仰は私たちにも必要です。
   


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