12月8日(日)「新しいパン種」説教要旨

           聖句
旧約
 「彼らはその悪をもって王を喜ばせ、その偽りをもって君たちを喜ばせる。彼らはみな姦淫を行う者で、パンを焼く者が熱くする炉のようだ。パンを焼く者は、ねり粉をこねてから、それがふくれるまで、しばらく、火をおこす事をしないだけだ。」  (ホセア7:3-4)

新約
 「現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭りをしようではないか。わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。」  (Ⅰコリント5:1-13)

  パウロは邪悪を嫌うだけではなく、「わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている」と、自分自身霊的にその場に現臨していると言います。より具体的です。前に「先走りしてさばいてはいけない」と言ったのは、「さばかなくてよい」と言ったのではありません。「先走りしない」ということは、「厳密さ」という意味です。またさばきは公共的でなくてはなりません。裁判が開かれ、公開されなくてはなりません。その公共の場に、パウロ自身も臨席しているというのです。しかし、しかしさらに「わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって」と言っています。パウロが臨席だけではなく、キリストが臨在していなければなりません。礼拝においてと同じように会議でも、キリストの現臨がなくてはなりません。私たちは会議は人間のやる事だと思っています。しかし、それは違います。会議においても、キリストのみ旨が支配しなければならないのです。礼拝における原則が、会議においても貫かれねばなりません。

  次に「彼をサタンに引き渡してしまったのである。あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい」。ここで「サタンに渡す」とは、何を言うのでしょう。パウロはローマ書でこう言っています。「彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた」(1:28)。ここでは同じことを、「サタンに渡す」と言い表しています。悪いことをする人間を、その悪いことをするままに任せることです。悪人が、悪をしていること自身が、自らへのさばきになると考えたのです。悪自体は、破壊的力をもっています。その悪の破壊的力に任せたのであります。

  パウロは時々「サタン(悪魔)」と言いますが、サタンには、肯定・否定の二つの働きがあります。サタンの否定的力はだれにでも分かります。しかし、サタンに肯定的力があるとは、どういう意味でしょうか。ヨブ記にもあるように、聖書では「サタン」は、独自の自力の力を持ってはいません。サタンとても、神のゆるしの中でのみ働くことをゆるされるのです。そうでなければ神は全能ではなくなります。したがって、サタンは神のみ旨によって、よく働く場合もあるのです。Ⅱコリント12:7に、パウロは自分が病気になった時、それは「自分が高慢にならないように打つ、サタンの使いです」と言っています。ネガのフィルムが、ポジに働くように、サタンは悪事をなす者たちをさばくことを通して、信仰者に悔い改めをうながすように積極的に働くのです。

  「わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭りをしようではないか」。古いパン種は、酸っぱくなったイースト菌のようなものです。それはパンをふくらませる役に立ちません。教会は古いパン種を除いて、純粋で真実なパン種を用いて、新しいパンを焼かねばなりません。それゆえさばきには、限界と条件があります。一つは、さばきが本人の救いと益のためになされること、もう一つは、キリストを中心として、教会的に行われることです。
   


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