2013年3月31日(日)イースター礼拝説教「復活の三つの意味」
説教:蓮見和男

   

           聖句
旧約
 「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから、わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。それゆえ、産婦の産みおとす時まで、主は彼らを渡しおかれる。その後その兄弟たちの残れる者は、イスラエルの子らのもとに帰る。彼は主の力により、その神、主の名の威光により、立ってその群れを養い、彼らを安らかにおらせる。今、彼は大いなる者となって、地の果にまで及ぶからである。」  (ミカ5:2-4)

新約
 「そこでイエスが言われた、『ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか』。こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先に進み行かれる様子であった。そこで、しいて引き止めて言った、『わたしたちと一緒にお泊まりください。もう夕暮になっており、日もはや傾いています』。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。彼らは互いに言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』。」  (ルカ24:25-32)

  あの東北の大地震で感じたことは、被害に二つあり、家財産仕事を失ったのなら回復の余地があります。しかし、もう一つの人的被害、親しい人を失った人をどうして慰めてよいのでしょうか。私たちには慰める言葉がありません。ただ一つ復活の事実こそが、死んだ人をもつ近親を慰める力をもっています。婦人会でこの話をした時、ある方の友人がガンを患って死の宣告を受けた時、その方はガンの友人に復活の話をしたら、元気になったというのです。もちろん人間ですからやがて死ぬでしょうが、それはキリストの復活のことで新しい力を受けたのです。ハイデルベルクの信仰問答には、こういう問答があります。

イエス・キリストの復活は、どのように私たちに役立つのですか?

キリストはご自身の復活によって、死を克服されました。
キリストは、ご自身の御力によって、私たちを新しい生命に目ざませてくださいます。
キリストは、確かな証人として、私たち自身の復活を保証してくださいます。
  ここに三通りのことがあります。第一キリストご自身の復活、第二私たちに力を与えてくださる復活、第三、私たちを死後、新しい生命に復活させてくださること。これが復活の三つの意味です。
1 過去(キリスト自身の復活)、2 現在(私たちを今勇気づける)、3 将来(死後私たちを新しい生命に復活させてくださる)。これを一つ一つ学んで行きましょう。

  1 過去、今から二千年前、金曜日に十字架に死なれたキリストは、日曜日に弟子たちに現れ四十日間復活の出来事が続きました。まず弟子たちに現れ、彼らは目覚めました。しかし、疑う者もいました。その時、居合わせなかったトマスです。しかし、その疑うトマスにもイエスは現れました。トマスは疑いを解消し、「わが主よ、わが神よ」とひれ伏しました。また今日のエマオ途上に復活のキリストです。弟子たちは、十字架の地エルサレムから逃げていたのです。その逃げる弟子を追うように復活の主は、彼らと共に歩んでいます。その方が復活の主とは弟子たちは気づきませんでした。その方は聖書全体を語り、食卓につかれ、パンをとり祝福したその時、イエスであることが分かりました。さらに数年後パウロに現れます。パウロはキリスト反対の急先鋒です。このキリスト反対者にも、復活の主は現れました。このように第一の復活はいろいろに聖書に記されています。これなしにその後の私たちの復活経験はありません。

  2 現在、ハイデルベルク問答では、「キリストは、ご自身の御力によって、私たちを新しい生命に目ざませてくださいます」とあります。第一の復活が二千年前過去のこととすれば、この第二の復活は、現在私たちの中に起こる復活経験です。先ほどのガンの友人に復活の話をした時、勇気と力を与えられたのもそれでしょう。また何かで大失敗をし、立ち上がることのできないことがある。しかし、死においても復活があり、「キリストは、ご自身の御力によって、私たちを新しい生命に目ざませてくださいます」。復活のキリストは、私たちに「立ち上がれ、神には死すらも終わりではない、死は生命に飲まれてしまった」と言われます。このようにキリストの復活は現在の私たちを生かし、勇気づけてくださいます。これが復活の第二の意味です。

  3 将来、そして第三に、「キリストは、確かな証人として、私たち自身の復活を保証してくださいます」。これが将来です。私たちはみないつか死にます。しかし、死の向こうに新しい生命があります。それがキリストの復活によって約束された、私たちの将来です。物質的損害はなんとか修復できる、しかし、人の生命はいかにとも仕方がない、私たちはどのようにして、愛する者を失った人を慰めるでしょうか。それはキリストの復活以外にありません。キリストの復活は、私たち自身の復活を保証してくださいます。永遠のいのち、それはこの復活のキリストから来ます。

  イエス・キリストにおいては、死は終わりではなく、実に新しい始まりです。もしすべてが死で終わるなら、生の意味は何でしょうか。世界が核で終わるなら、世界が存在する意味は何でしょうか。このような問いの答えは、この世界の中からは出てきません。生のすべての意味と根拠は、向こう側から来ます。「復活」、それはまさに向こう側から来る真理なのです。

  今エマオ途上の人は、イエスの十字架に出会って悲しみに沈んでいた人にほかなりません。「私たちはこの人こそ、イスラエルを救済してくださるお方だと望んでいましたのに」、この人たちは、過去に捕らわれ、宿命を考えて、悲しみに沈んでいました。皆さん、悲しみの人は人生の半分しか見ていません。実は、この私たちの人生は、もう一つの半分があって、それが前の半分も含めて全部を飲み込んでいるのです。その全体を飲み込むもう一つの半分とは、この悲しみの人と共に歩む復活のキリストなのです。それが向こう側から来る真理です。「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。およそ生きて、わたしを信じるものは、永遠に死なない。」(ヨハネ11:26)
   


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