12月2日(日)「乙女マリア」説教要旨

           聖句
旧約
 「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。」(詩編119:9)

新約
 「六ケ月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリアといった。御使がマリアのところに来て言った、「恵まれた女よ、おめでとう。主があなたと共におられます」。この言葉にマリアはひどく胸騒ぎがして、この挨拶は何のことであろうかと、思いめぐらしていた。すると御使が言った、「恐れるな、マリアよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名付けなさい。」  (ルカ1:26-31)

  普通歴史は偉大な人間から始まります。アレキサンダー、ナポレオンのような人間から始まります。しかし、聖書は違います。ナザレというガリラヤの田舎町から始まったのです。しかも、その田舎の自信のない一人の女性から始まりました。

  しかし、その田舎の無力な乙女にも、「上から」がありました。ですから、私たちすべてにこの「上から」があります。私たちは自分の資格や自分の能力など「下から」しかものを見ません。けれどもこのマリアに「上から」神の御使いが現れました。その御使いはまず「恵まれた女よ」と呼びかけたのです。この神の上からは、「恵み」の一字です。何の資格もいらないのです。あなたもそれを受けることができます。

  では「恵み」とは何でしょうか。聖書はそれを別な言葉で言い表します。「インマヌエル神われらと共に」。恵みとは神が私たちと共にいてくださるということにほかなりません。この「私たち」の中には、あなたも、私も含まれています。日常生活しか知らないわたしたちに神がともにいますとは驚くべき、恐るべきことです。それは信仰の事柄であります。あなた自身が信じることなのです。しかし、神が私たちと共にいてくださるなら何が恐るべきことでしょう。御使いは言います、「恐れるな」と。あの嵐の海で恐れる弟子たちに現れてイエスは言いました、「わたしである、恐れるな」と。クリスマスとはイエスが生まれることです。それは第一にはマリアの中にです。しかし、霊的な姿では、私たちすべてのものにも起こることなのです。聖霊が働く時、あなたの中にイエス・キリストが誕生します。あなたはクリスマスを経験するのです。

  マリアはその時、御使いに言いました。「どうしてそんなことがありえましょうか」と。マリアはこの問いを私たちを代表して問うたのです。私たちもよく言います、「どうして、なぜこのわたしが」と。しかし、御使いの答えはこうでした。「神にはなんでもできないことはありません」。私たちの問いは神が抜けていたのです。私についても神には何でもできないことはありません。あなたはこのことを信じますか。

  信仰は、わしが信じるのではありません、「信じさせられるのです」。「神にはなんでもできないことはありません」、この事実を信じさせられるのです。マリアは答えました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」。このように答えることができる信仰者は幸いです。それは自分の身に起こる出来事なのです。あなたにも、そして私にも起こることなのです。
   


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