11月4日(日)「死と生の所属」説教要旨

           聖句
旧約
 「わが魂はもだしてただ神を待つ。わが望みは神から来るからである。」   (詩編62:5)

新約
 「兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。『死は勝利に飲まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。だから、愛する兄弟たちよ、堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」  (Ⅰコリント15:50-58)

  いのち、生、生命というものは、永遠ではなく、いつか終わるものです。生は死で終わることは、誰でも分かっている事実です。しかし、聖書では全く違った見方をします。聖書では、いのちに二通りあります。一つはこの世の今もっているいのち、地上の生命です。これには限りがあります。しかし、聖書では、もう一つ「永遠の生命」があると教えています。私たちはよく死を「永眠」と言いますが、しかし、永遠に眠るのではなく、覚める時がきます。その時、「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることのなるからである」と書いてあります。

  すでに「召された人」は、「いなくなった」ではありません。天に、神のもとに「召された」のです。聖書の言う永遠の生命は、決して人間の希望的観測、願望の一種ではありません。聖書には、こう記しています。
「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。」(Ⅰコリント15:3-6)
  このイエス・キリストの復活の事実があるからこそ、私たちは今日あるのです。したがって今、私たちが朽ちるこの世のいのちと朽ちない永遠のいのちを考えることができ、そしてすでに召された人の永遠のいのちを記念できるのも、それはこのイエス・キリストの復活があるからです。それはキリストを仲介、媒介としてであります。しかもその中で特にキリストの復活の出来事が中心であります。

  ここでは「この朽ちるものは必ず朽ちないものを、この死ぬものは必ず死なないものを着る」と言っていることに注意しましょう。つまり「朽ちるもの」、私たちの地上の生の上に、「朽ちない」新しい復活した生を着るのです。そこには二つのことが述べられています。1 私たちの今ある生は、消えてしまうものではなく、朽ちるけれどもなくなるのでなく、新しい生と共にあること。2 次に、私たち生きているもの生とすでに召された者たちの生とは、その上に着ると言われるように、ぴったりとくっついていることです。永遠の生命はこの時間的生命としっかりとくっついているのです。すなわち、あなたの生とすでに召された人の生とはぴったりとくっついているのでうす、それはイエス・キリストの復活のゆえです。イエス・キリストと共に十字架につけられた犯罪人が、「どうかあなたが御国に入る時、この罪深い私も覚えていてください」とお願いしました。十字架の主は言われました。「今日、あなたはわたしといっしょに神の国にいる」(ルカ23:43)。この言葉をよく見てください。イエス・キリストはここで「今日」と言われました。次にイエスは「あなたはわたしといっしょに」と、その犯罪人を先にして、その人を主語にしています。神は死に行く人を先にされます。第三に、「わたしといっしょに」とイエスは言ってくださいます。死ぬ時、いまわの時、イエスご自身が、その人と共にいてくださいます。イエス・キリストが共にいてくださるところ、そこが天国です。永遠の生命とは、したがって私のために死んでよみがえられた、あの十字架のイエスが共にいてくださる生命であります。
   


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