11月27日(日)「マリアの賛歌」説教要旨

           聖句
旧約
 「神よ、あなたの大能と義とは高い天にまで及ぶ。あなたは大いなる事をなされました。神よ、だれかあなたに等しい者があるでしょうか」  
(詩編71:19)


  新約
 「わたしの魂は主をあがめ。わたしの霊は救い主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人びとは、わたしをさいわいな女と言うでしょう。力ある方が、わたしに大きなことをしてくださったからです。そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく、主をかしこみ恐れる者に及びます、主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引き下ろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいるものでを空腹のまま帰らせなさいます。主はあわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました」  (ルカ1:46-54)


  聖書の書かれた当時、古代の社会ですから、家父長制の時代です。つまり男子、しかも長男だけが家を継ぎ、偉い者でした。したがって女性の権利ということは認められない社会でした。

  ところが、聖書やキリスト教のすごいところは、その古い時代に、女性が貴ばれ、奴隷の権利が認められ、奴隷でも監督(教区長)になれました。福音書の初めに主役として出てくるのは、女性です。しかも王妃とか王女と言った位の高い人ではなく。マリアという、ナザレという田舎町の女子青年です。またもう一人はエリザベツで、祭司の夫人ですが、「産まずめ」と言われ、老年まで子がありませんでした。クリスマスの主役は、この二人の女性です。特にマリヤは、イエスを宿すので主役中の主役です。

  マリアは、このことをもちろん自分の手柄とは考えません。普通ならこの光栄をひけらかし、いばり始めるでしょう。しかし、マリアはそうでなく、
「力ある方が、わたしに大きなことをしてくださったからです」
と謳いました。信仰というのは、九割までが受け身です。「神がなさった」と確信するのです。ではその「受け身」は消極的かというと、そうではありません。信仰では「受け身」が、「捨て身」です。全く神に頼り切って、そこで大いなる事が起こるのです。

  クリスマスというのは、全世界で祝う、これほど大きなことは、世界中見渡してもないでしょう。そのクリスマスという大きなことは、実にナザレという世界では名も知れない小さな村から起こったのです。「きよしこの夜村」というのが、オーストリアのザルツブルクの北の方にあります。クリスマスに何千という人が世界各国から集まります。そこで私はイタリヤ、ギリシア、あらゆる国の人に会いました。日本でも、旅行会社がツアーを組んで、大勢この何もない小さな村に来ます。不思議です。
「力ある方が、わたしに大きなことをしてくださったからです」


  しかし、その前に、もう一つのことがあるのを忘れてはなりません。マリアはその前にこう言いました、
「わたしの魂は主をあがめ。わたしの霊は救い主なる神をたたえます」
日本語では、「わたしの魂は」からですが、原語は「あがめる」という言葉でマリアの賛歌は始まっています。そして次に「わたしの魂は」と来ます。

  「あがめる(メガリュオー)」は「大きくする」という意味です。よく「メガトン級」、あのメガです。マリア自身、小さな田舎女でしたが、彼女は神さまを大きくたたえました。小さな人間が、よく考えてみてください、「小さな人間が」です。神を大きくする時、
「力ある方が、わたしに大きなことをしてくださったからです」
してくださるのです。自分で大きくと思っている時は何も起こりません。 ここで「小さな人間」は問題になりません。「力ある方」が問題です。

  しかも、このマリアを大きくしてくださるお方は、またこの歴史を支配しています。
「そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく、主をかしこみ恐れる者に及びます、主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引き下ろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいるものでを空腹のまま帰らせなさいます」
これは全世界歴史のことではないでしょうか。マリアの心を支配したお方は、この全世界を支配しておられます。長い時代で見る時、権力ある者は、降ろされます。アレキサンダーは、インドまで攻めて行って、死にました。彼はヘレニズム文化を世界に広めようとしました。ナポレオンは、エルバ島に流されました。しかし、ナポレオンはフランス革命の原理を世界に広めました。ヒットラー今の二人とは違う悪一方の支配者です。1933年に権力について、1945年滅びました。

  その反対に長い目で見ると、自由、平等という精神は次第に行き渡りました。私の子供の頃は、女性は投票権がありませんでした。さらにその前には、一定の税を納める金持ちだけに投票権がありました。今は全員投票権があります。恐慌の時代、極貧に陥った農村はいまでは豊かになりました。確かに歴史には不合理な面で満ち、不平等の面もありますが、それは人間が作ったものです。神は歴史の中に働き、「スイスは人間の混乱と神の摂理によって今日ある」ということわざの通り、人間的混乱の中で、そのご摂理を働かせます。それを信じるのが、クリスマスです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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