11月21日(日)「 初穂  」説教要旨

           聖句
旧約 「あなたの土地の初穂の最も良い物を、あなたの神、主の家に携えてこなければならない」
  (出エジプト23:19)

  新約 「聖徒たちの献金については、わたしはガラテヤの諸教会に命じておいたが、あなたがたもその通りにしなさい。一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき、わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい」
  (Ⅰコリント16:1-2)


  旧約聖書の昔、神に捧げる供え物は、
「あなたの土地の初穂の最も良い物を、あなたの神、主の家に携えてこなければならない」
と言われています。つまり神に捧げるものは、余り物や古物や使い古しであってはなりません。それは「初穂」つまり、最初のもの、そして「最も良い物」でなければなりません。
  なぜなら、私たちが地上のすべての物を享受できるのは、一切が神から来るからです。捧げ物は、神のものを神に帰すのです。神は、その最愛の御子を私たちの罪のためにくださいました。私たちの捧げ物が古物であってよいはずはありません。最上のものであるべきです。

  新約聖書でも同じです。
「一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき、わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい」
私たちは収入の初穂を捧げねばなりません。余ったらでなく、真っ先にです。

  そのことは献金だけではないのです。パウロは、今コリントの教会の訪問を企てています。その際、
「わたしは今、旅のついでにあなたがたに会うことを望みません」(Ⅰコリント16:7)
とあります。パウロはコリントの教会の訪問の前に、テモテを送っています。こんなにパウロを困らせた教会はないでしょう。しかし、それだけに丁寧に事に当たっています。あんな困らせる教会はほっておこうとか、どうにでもなれということは言いません。反対です。親を困らせる子ほどかわいいと言います。いや、そうではなく、たとい相手が誰であれ、私たちはイエス・キリストが、良い羊飼いとして迷う一匹の羊をどこまでも追いかけるように、一人の子供、一人の障害の友に熱心でなければなりません。「事のついで」ということは、それを二の次、三の次ぎにしているのです。

  パウロは今日の箇所Ⅰコリント十六章に入るすぐ前の章、十五章の最後で、
「だから愛する兄弟たちよ、堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあってあなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」(15:58)
と言っています。小さいことにも全力、それが信仰の態度です。小さい人にも全力を注ぐ、それが信仰の態度です。神への捧げ物だけでなく、人間に対するものでも、仕事でも、私たちは全力を捧げる必要があります。全力でした仕事は、たとい一時、駄目になりそうでも、何年か後に必ず芽が出、それは大きな木に成長するはずです。
「これらの最も小さい者の一人をも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは、天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである」(マタイ18:10)
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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