10月24日(日)「 この時代なにが問題か 」説教要旨

           聖句
旧約 「その最も小さい者は氏族となり、その最も弱い者は強い国となる。わたしは主である。その時が来るならば、すみやかにこの事をなす」
  (イザヤ60:22)

  新約 「狭い門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そこから入って行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そしてそれを見いだす者が少ない」
  (マタイ7:13-14)


  今の時代、何が問題なのでしょう。多くの人は不安をいだき、末期的時代だと考える人もいます。時代の問題を箇条書きにしてみます。
  • 1.アメリカのリーマンショック以来、さすがの経済大国も頼れなくなり、ヨーロッパ連合さえギリシア危機で、ユーロが値下がりし、日本は異常な円高で、株価も下り、会社経営は苦しく、就職も難しくなています。これは「経済的原因」です。
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  • 2.気候変動、異常な猛暑、時々来るゲリラ豪雨、日本は少なかった竜巻が起るとか、気候の先行きが不気味であること。これは「気象的原因」です。
  • 3.倫理、道徳が地に落ちて、政治家、学校、病院、ついに検察庁まで、あらゆる面で道徳は最低になった。親が子を殺し、道を歩いている人を何の理由もなく殺し、「誰でもよかった」とうそぶく犯人、これは「道徳的原因」です。
  • 4.壮年の働き盛りが、ガンになり日常茶飯事になって、人はガンの心配をしなくてはならない。またうつ病が非常に多くなったこと。これは「健康的原因」です。


  経済的原因(1)は、昔もありました。昭和恐慌は、私の小学生の頃でした。しかし、他の三つは昔はありません。ともかく、皆、希望はもっていたし、安定していました。では昔になくて、今あるもの、それは何でしょう。
  一つの大きな要因は「科学技術の進歩」です。自動車の異常な普及、テレビ、パソコン、携帯電話が広まりました。気候変動は、CO2の排出が、つまり科学技術が一つの大きな要因だと思います。ガンがはやるのも、科学調味料、農薬、酸化防止剤等が食品に含まれたことが、原因でしょう。

  しかし、これら環境汚染を解消し、ガンを防ぐのも、ある意味で、新しい科学技術の発明で解決されるでしょう。排気ガスには、電気自動車というように。しかし、一番大きな問題は、3.の道徳的低下です。これがどうして「科学技術」と関係あるのでしょうか。 
  1.テレビ、パソコン、携帯電話は、私たちに膨大な情報を提供します。今は情報過多の時代です。しっかりしていないと、私たちの判断を狂わせ、主体性を失わせます。
  2.パソコン、携帯電話の使用は、私たちの思考回路を変えます。問題は、道具として主体的に使っている場合と、それに飲み込まれてしまう場合があります。飲み込まれてします場合、私たちは正常の思考や深い思考は出来にくくなります。「お酒を飲んでもよいが、お酒に飲まれてはいけない」と同じです。
  3.また科学技術は、私たちに科学技術でできないことはないと思わせ、人間を傲慢にし、精神的なことが小さく見られます。また技術の発展は利益を生みます。そのため、人びとは自分の利益追求に走り、道徳倫理はおろそかになります。

  では世界は終わりでしょうか。昔から「今は末の世だ」という終末論がはやったことがあります。鴨長明が方丈記を書いた時代、1177年大火、80年台風、81-2年飢饉、85年大地震でした。ヨーロッパでペストがはやり(1347-51年)、4分の1の人口がなくなった時代、人びとは、「今は末の世だ」と言いました。しかし、人類はそれを乗り切って来ました。

  イエス・キリストの来た時代、やはり人びとは絶望的になり、「今は世の終わりだ」と言いました。しかし、イエスは言います、
「戦争と戦争のうわさを聞く時にも、あわてるな。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。あちこちに地震があり、飢饉が起こるであろう。これは産みの苦しみの初めである。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ13:7)


  大切なことは、モルトマンの「希望の神学」も、ブロッホの「希望の原理」も、希望が出てくる時、それは希望のない闇の時代であるとして、二人共に、有名なヘルダーリンの詩をあげています。
  「神は近い 、しかし、捕らえることは難しい。
         危険のあるところ、救いもまた生い育つ」

  パウロは、信仰義認つまり、罪人がキリストのあがないによって救われる事実を、アブラハムの例で説明します。
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望みえないのに、なおも望みつつ信じた」(4:17-18)
希望とは希望のない時にこそ、力を発揮するのです。目に見える望みがある時、どうしてわざわざ希望することがあるでしょう。希望をもつ時は、希望のない時にほかなりません。今日の聖書
「最も弱い者は強い国となる。私は主である。その時が来るならば、すみやかにこの事をなす」
と。神は小さく最も弱い者を、その時が来るならば大きくする。しかし、神が行ってくださるから。私たちは黙って見ていればよいのではありません。
「狭い門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い」
狭い門から入る時、希望が出てきます。今の時代、人びとは広い門から入りたがっています。それは滅びにいたる門です。もう一度信仰を見直しましょう。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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