10月17日(日)「 福祉の信仰的意味 」説教要旨

           聖句
旧約 「その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。その時、足なえは、鹿のように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである」
  (イザヤ35:5-6)

  新約 「行って、あなたがたが見聞きしていることを報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人びとは福音を聞かされている。わたしにつまづかない者は幸いである」
  (マタイ11:4-6)


  福祉は昔、宗教のことでした。ドイツである教会のデアコニアの施設に行った時、「あなたがたにとって福祉とは何かと問われるなら、私たちの所を見に来てくださいと答える」と責任者が言っていました。その福音に基づいた精神的自覚は、たいしたものだと思いました。近代では福祉を国家がやるようになりました。すると官僚主義の影響を受け、規則づくめになります。また企業でやると利益追求が主になります。そこで「福祉の精神」を伝えることが、教会の課題となります。

  マルコ福音書では、イエスの行為の大部分がいやしです。
「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
とイエスが言われた後、けがれた霊につかれた者をいやし、次ぎにペテロのしゅうとめの熱病を、さらに多くの病人をいやしています。そして取税人、罪人と食事しているのをパリサイ人に非難されると、イエスは、
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)
と言っています。現代もまた人びとは「いやし」を求めています。社会は忙しく、ストレスがたまります。そのいやしも福祉のひとつです。

  神の国は、イザヤによると
「見えない者が見え、歩けない者が歩きだす」
所です、またヨハネの問いにも、イエスは答えています。
「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人びとは福音を聞かされている。わたしにつまづかない者は幸いである」
と。ヘブル語、ギリシア語、ドイツ語では「救う」と「いやす」は同じ言葉です。

  しかし、イエスの業の頂点は十字架ですが、「
イエスはみ言葉をもって霊どもを追いだし、病人をことごとくおいやしになった。これは預言者イザヤによって『彼は、私たちのわずらいを身に受け、私たちの病を負うた』が言われた言葉が成就するためである」(マタイ8:17)
人びとの患いを身に負うことが十字架に現れています。十字架には、苦しみを共にする意味があります。私たちは人の罪のゆるしのためにと、十字架を精神的意味にだけとります。しかし、イエスは、「もろもろの患い」を身におわれたのです。身体的意味があります。つまり他者をいやすことは、自らにわずらいを負うことを意味します。

  さらに聖霊です、
「私たちがどのように祈ったらよいか、分からない時、言いがたい嘆きをもってとりなす」(ローマ8:26)
聖霊、これも精神的意味だけではありません。早く死んだ幼児、アフリカで飢餓や戦争で、早死にした人びとに、聖霊は「いのちの御霊」で、そのいのちを引き受けてくださるとしたら、聖霊は身体的患いにも救い、いやしをくださるのではないでしょうか。それが「いのちの御霊」の「いのちの」意味です。

  今、国家が企業がしている福祉は、人間性・ヒューマニティーが欠ける場合もあります。いろいろな問題が福祉施設で起こっていることも事実です。その時、大切な福祉の信仰意味を教会は知らせることが大切です。それが教会の第一の使命であります。それと共に、教会は信仰の人を送ります。それが教会の第二の使命です。それから障害ある人びとが、教会に来る時、そこで受け入れられるということが大切ではないでしょうか。イエスは
「これの最も小さい者の一人を受け入れるのは、わたしを受け入れるのである」(マタイ18:5)
と言われました。私たちは、罪にもかかわらず受け入れられたのではありませんか。
「キリストも私たちを受け入れて下さったように、私たちもお互いに受け入れあって、神の栄光を表しなさい」(ローマ15:7)
モルトマンは同じことを「空の鳥が空気を必要とするように、お魚が水を必要とするように、私たち人間は互いに受け入れられることを必要としている」と言いました。またこうも言っています。「障害の人にとっての障害は、ただ身体的な障害だけではない。実に健常者が障害である」と。つまり障害に偏見をもたないことが大切です。教会では、受け入れられる。これが第三の教会の使命であります。キリストが、私たちを受け入れてくださったように、私たちも互いに受け入れあっているでしょうか。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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