10月3日(日)「 悪を善に変える 」説教要旨

           聖句
旧約 「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変わらせて、今日のように多くの民の命を救おうと計られました」
  (創世記50:20)

  新約 「だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、出来る限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ、自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自信が復讐する』と書いてあるからである。むしろ、『もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたがたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである』。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」
  (ローマ12:17-21)


   「悪をもって悪に報いる」、これはこの世の原則です。しかし、この原則には欠けたものがあります。それは「悪に復讐してはいけない」ということではありません。その欠けは、「神が不在」ということです。
   人びとは言うでしょう。「悪を見過ごすのか。そんな甘いことで、やってゆけるのか」と。しかし、ここで「悪を見過ごせ」と言っているのではありません。それは「あなたがたのすることではない」。それは「人間の領分ではない」。
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が復讐する」
それは神の領分である。つまり、悪の処罰は行われる、ただそれは神のすることであって、人間のすることではない。

   もし人間が悪に対して悪をもって報いれば、そこには憎悪と報復の悪循環だけが来るでしょう。そしてそのことが一番いけないのは、「悪に対して、懲らしめの正義の剣をふるわなくては」と、義人気取りのあたた自身が、悪に手を染めていることです。あなたは正義の剣士で、血ぬられた剣をもって立つでしょう。 

   戦争中「天に代わりて不義を打つ」という歌がありました。それに続く言葉は、「忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて」、これが大東亜共栄圏を作るとの名目で、始められた戦争です。その結果は、みじめな敗北でした。幾百万の貴い命と引き換えに。個人の場合でも同じです。「神の怒りに任せなさい」と言う言葉は、原語どおり訳すと、「神の怒りに場所を与えなさい」です。復讐するあなたには、「神の怒りの場所がないのです」。いけないのはその信仰の不足です。  

   「多分、神はこのことで何もしてくれないだろう、神にはこのことで何もできないだろう」と考えていませんか。「神に任せておけない」。それは、あなたの神が小さすぎるのです。神は、あなたのことも、相手のこともあなた以上に十分にご存じです。神はあなた以上によくすべてを知っておられ、力ももっておられます。足りないのはあなたの信仰だけです。    

   あなたの怒りと復讐で、神様の怒りの場所ふさぎをしていないでしょうか。そのことがいけないのです。神はあなたの怒りも承知しておられます。あなたの相手をゆるせない気持ちも十分ご存じです。神は、その事を非難しているのではありません。そうではなくて、神様の怒りはもっと大きく、もっと適切であることを忘れて、自分の怒りと復讐心で、神様がしてくださろうとしていることの場所をふさいでいることがいけないのです。  
  神は、復讐をしていけないと言っているのではありません。
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が復讐すると書いてあるからです」
むしろ、あなたのすることは、
「もし敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい」
です。  

  
「時に先だってさばきをするな」(Ⅰコリント4:5)
時とは神の時です。その時に先だってさばくのは、人間の復讐であって、神のさばきではありません。神がご摂理をもって、この世界を支配しておられることを忘れてはいけません。私たちは、あせっています、それは神の時間、神の時を忘れているからです。自分の時間、自分の時になっている人はいませんか。その人はいつもあせって急いでいます。    

   しかし、善は悪に勝つのでしょうか。この世の悪というものは、案外、善の力よりも強くはないでしょうか。確かに悪は強い。しかし、ここでは、私たちの善意が、悪魔に勝つとは言っていません。神に任せなさいと言っているのです。悪は善よりも強いが、神よりも強くはありません。悪に勝つのは、私たちではなく、神の善であります。それには時が必要です。待つことが大切です。神には時があります。そして神の時が一番、ぴったりとして、ふさわしい時であることが、後になって分かります。イエスは言われます。
「あなたがたは世にあっては悩みがある。しかし、勇気をだしなさい、わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)
すでに世に勝っているお方がいるのです。私たちが新しく勝つための工作をするのではありません。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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