4月18日(日)「 成功と失敗 」説教要旨

           聖句
旧約 「わが敵よ、わたしについて喜ぶな。たといわたしが倒れるとも起き上がる。たといわたしが暗闇の中にすわるとも、主はわが光となられる」
  (ミカ7:8)

  新約 「アポロは一体何者か。パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さるのは、神である。だから植える者も水を注ぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。植える者と水を注いぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちはは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である」
  (Ⅰコリント3:5-9)


   「成功と失敗」ということは、子供でも、大人でも、どんな人でも関心があります。学生は試験に受かって成功したい。商売している人は、売れ行きを伸ばして成功したいのは当たり前です。この世では成功と失敗は、正反対の事実です。けれども、信仰からすると、成功と失敗とは、親戚関係です。そこに二つの意味があります。一つは「成功と失敗とは背中合わせである」、もう一つは「成功と失敗とは入り組んでいて成功中に失敗があり、失敗の中に成功がある」と言うことです。  

   今日の聖句に  
「わが敵よ、わたしについて喜ぶな。たといわたしが倒れるとも起き上がる」
とあります。失敗は成功に変わるのです。信仰は、この力を与えるのです。しかし、いわゆる「失敗は成功の基」とは違います。それは失敗して何事かを学んで、次の機会に生かして成功するというのです。あくまでも人間の努力の結果だけです。    

   聖書は違います。
「たといわたしが暗闇の中にすわるとも、主はわが光となられる」
主は、暗闇に輝く光です。詩編には
「わたしの足がすべると言った時、見よ、あなたの御手はわたしを支えられました」
とあります。これらの御言葉は、失敗と成功は背中合わせだと言っています。   

   第二に信仰においては、「成功中に失敗があり、失敗の中に成功があります」。成功は傲慢を生み、失敗は謙虚にさせるだけではなく、そこにはキリストの十字架の真理が輝いています。十字架は、この世的に見れば、確かに大失敗でした。しかし、神はこれを人類の救いの基としました。
「十字架の言葉は、滅びる者には愚かであるが、救われる私たちには神の力である」(Ⅰコリント1:18)
「しかし、主は人の魂をはかられる。あなたの成すべきことを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計ることは必ずなる」(箴言16:1-3)
ナポレオンがモスコーに攻めのぼった時、得意の絶頂、ヒットラーがロシアに宣戦した時も、得意の絶頂でした。しかし、それは滅びの始まりに過ぎません。信仰においては、「成功中に失敗があり、失敗の中に成功がある」のです。  

   新約聖書はそのことを的確に示しています、
「アポロは一体何者か。パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さるのは、神である。だから植える者も水を注ぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである」
ここには人間の働きがあります。パウロは植え、つまりコリント教会を開拓します。アポロが来て、それを育てました。    

   その時、パウロは自分の仕事を誇りません。「植える者も水を注ぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである」と。成功とは、この育てる神に気づくことではないでしょうか。特に、子育て、教育の場合そうです。教育とは、子供を授けてくださった神が、また教育もしてくださることを信じるのです。しかし、
「植える者と水を注いぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちはは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である」
そこには、神と一つになる私たちの働きもあるのです。けれども、神と共に働くことがなければ、何事も成功はしません。   

   どうして十字架は失敗だったのに、その真理が何千年も続いたのでしょう。それはイエスが自分を捨てて、他者を生かすその愛にあります。それが成功か失敗かのかぎです。つまり、普通は、成功と失敗のかぎは、得か損かです。しかし、キリストのは損得でない、「徳」です。愛です。他者が生きるかどうかです。私たちは神の畑、建物で、報酬を得ますが、それはもっと広い大きい考えに基づいてです。  

   ドイツの結婚式の祈りに「神があなたがたと私たちすべての間に平和を与えてくださいますように!神があなたがたに、どうか助けを必要とする人びとに開かれた心を与えてくださいますように!神があなたがたに困難に耐える力を与えてくださいますように!神があなたがた同志、また他の人びととの間によき対話が行われるように助けてくださいますように!神があなたがたに真の希望を与えてくださいますように」とあります。    

   二人のために世界はあるのではありません。世界のために二人はあるのです。この広い視野を与えられる時、「植える者と水を注いぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちはは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である」との御言葉が生きてくるのです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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