2月7日(日)「キリストのからだ」説教要旨

           聖句
旧約 「あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い暗い中を歩いて光を得な くても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか」
  (イザヤ50:10)

  新約 「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだな る教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。 わたしは、神の言葉をひろめる務めを、あなたがたのために神から与えられているが、そのため に教会に奉仕する者になっているのである。その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠され ていたが、いたがあや神の聖徒たちに明かにされたのである」
  (コロサイ1:24-26)


   キリスト教は、徹底した個人主義、また徹底した普遍主義です。信仰を求めて教会に来る時、ほとんど個人的悩みや問題で来、救われて後も、その救いは個人的です。九十九匹の羊を野において、ただ一匹の迷う羊を追い求める信仰です。
  けれども、パウロは今、「キリストのからだなる教会」と言います。教会をからだと肢体で説明しています。目は手に向かってお前は見ないから要らないとは言えません。互いにからだは助け合って全体を形成します。
  「われは聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信じる」、つまり、個人だけ救われるのでなく、私たちは交わりの中にあって救われるのです。交わりは、三位一体の神に表されています。  

  三位一体の神は、父・子・霊なる交わりです。それは神自身の交わりであると共に、私たちと三位一体の神との交わりでもあります。ペンテコステ(聖霊降臨日)に、聖霊が下り、聖徒の交わりである教会ができました。聖徒の交わりとは足りない者が持っている者から受け、私は他の人のために何かを捧げるのです。  
  徹底した個人主義であると共に、徹底した普遍主義です。世界中みな兄弟です。神のもと全人類が兄弟姉妹です。そこにキリストのからだなる教会が生まれます。  

  さてパウロは、ここで、
「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている」
と言っています。  
  信仰とは、ただキリストを頭に思い浮かべることでなく、キリストにすべてを投げかけ、主に一切をお任せすることです。それはからだごとです。聖餐であらわれているように、ただ心だけのでなく、「からだ」ごとの信仰です。  
  私たちは実に、キリストが、「これわがからだなり」と言われたことから、この地上の教会につながれたのです。ですからキリストの十字架は、ただ精神的でなく、この罪深い者をからだごとあがなってくださるのです。  

  この世に、多くの苦しみがあるのは、人間の罪の結果です。しかし、信仰の光に照らしてみる時、この罪からくる苦しみは、キリストの十字架の苦しみに連帯しています。罪は、キリストが十字架の苦しみを通して、愛してくださった、その大きな愛につながる場所なのです。  
  今、ここでパウロが言っているのは、この救いを世界にひろめるための宣教の労苦です(キリスト教の普遍主義)。「キリストの苦しみのなお足りないところ」と言われると、十字架に何か欠陥があるのではありません。十字架は完全な救いです。    

  しかし、まだすべきことがあります。それは宣教の使命です。  からだはまた病むこともあります。その病む時、多くの場合、私たちは批評家、になります。しかし、キリストは人間の罪を見た時、批評家になりませんでした。かえってこれを自らに負いました。  
  私たちには、キリストのからだを形成して行く課題があります。それはある人にだけに課せられたものではありません。救われた人、全員に課せられた課題です。この世に、キリストを証しして行く課題もあります。そこでは個人主義だけでは力がありません。徹底した普遍主義があります。「すべての人」に宣べ伝えよ。これがなくてはなりません。私たちは、ただ信仰者として教会に名を連ねているだけでよいでしょうか。教会形成の課題、この世への証しの課題、いろいろあります。  

  教会には宣教のほかに牧会ということもあります。それは「魂の配慮」で対話によります。その場合も、ただ親切に対話するだけでは足りません。同じ御言葉が生きることが大切です。御言葉が生きる時、問題は解決するからです。  
  この場合、徹底した個人主義です。個の魂が大切にされます。
「これらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち私にしたのである」(マタイ25:40)
しかし、
「神は、すべての人が救われて真理を悟るにいたることを望んでおられる」(Ⅰテモテ2:4)
人間はみな兄弟姉妹であります。この二つを実現するために、キリストのからだなる教会があるのです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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