6月28日(日)「普通の考えと信仰」説教要旨

   使徒行伝17:22-27

  多くのキリスト者は、日本のクリスマスの祝い方を見て、「あれは世俗化だ」と批判します。しかし、必ずしもそうでありません。スーパーなどで、クリスマスカロルが聞こえて「神の御子は今宵しも生まれましぬ」と歌っています。仏教国なのに、不思議と4月8日のお釈迦の誕生日は祝いません。なぜでしょうか。

  また「天国」ということが、日常に出てきます。葬儀は仏教でやっているのに、「お父ちゃんは今、天国にいる」などと言います。決して「極楽」とは言いません。「天国」です。以前、社会党の委員長が、「十字架委員長」と呼ばれたことがあり、三位一体も、地方分権で三位一体という言葉が使われました。「カリスマ」と言う言葉も、聖書特有の言葉で、それは「聖霊の賜物」の意味です。

  今日の聖書の箇所、使徒行伝17:22以下を見てください。
  パウロは、アテネで伝道します。そこに「知られざる神に」という祭壇を見つけ、それを土台にして、福音の真理を伝えました。キリスト者は、一概に世俗化と言って、切り捨てないで、この パウロのやり方に学びましょう。
  パウロは言います、
「アテネの人々よ、あなた方は、あらゆる点ですこぶる宗教心に富んでおられると、私は見ている。
  実は、私が道を通りながら、あなた方の拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られざる神に』という祭壇もあるのに気がついた。
  そこで、あなた方が知らずに拝んでいるものを、今、知らせてあげよう。この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で作った宮などにはお住みにならない。
  こうして、人々が熱心に追い求めて探しさえすれば、神を見いだせるようにしてくださった。事実、神は、私たち一人一人から遠く離れておいでになるのではない。われわれは、神のうちに生き、動き、存在しているからである」
  (使徒行伝17:22-28)


  ここには、私たちの学ぶべきものがあります。
  パウロは、まず異教的な「知られざる神」の祭壇を肯定しています。しかし、手放しで肯定しているのではありません。「あなた方が知らずに拝んでいるものを、今、知らせてあげよう。この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で作った宮などにはお住みにならない」と、今度は、否定しています、「神は人間の作った宮などに住まない」と。
  そうして、肯定から否定を経て、さらに新しい真実に導きます。つまり、直接結びつけるのではありません。いったん肯定したものを、否定を経て新しいものに行くものです。

  これまで、日本人が、クリスマス、天国、その他いろいろなキリスト教的な真理を言葉で表しながら、しかも、別に信仰心がないのは、なぜでしょう。そこには、「自分が変わることがない」のです。
  日本人の宗教は、「ご利益と安心立命」が中心です。そこには、根本的に回心したり、悔い改めたりすることがありません。自分はもとのままです。「自分が変わる」こと。これが問題です。

  一つの例を引きましょう。孤児がいます。「君にお父さんがいるよ」と言ったら、「もちろん、自分がこの世に存在するのは、父母がいたからだ」と答えるでしょう。しかし、今そのお父さんが、入り口にきて君を呼んでいるんだよ」と言ったらどうでしょう。「えっどこに」と言って、飛んで入口に行くでしょう。
  初めの言葉は、彼自身を変えませんでした。しかし、次の言葉は、彼を行動に駆り立てました。「天に神がいることは知っている」では、信仰にはなりません。「その神が、聖霊を通して今、あなたのところにいます」と言われた時、自分が変えられるでしょう。
「聖霊によらなければ、誰もイエスを主ということはできない」
  (Ⅰコリント12:3)
信仰とは、ただ知っているだけでなく、このように自分が変わることが大切です。

  旧約聖書の詩篇139はどうでしょう。私たちは、世俗的にせよ、何的にせよ、この神から逃れられないのです。神はあなたの近くにいます。使徒行伝でのパウロの結論も、
「神は私たち一人一人から遠く離れておいでになるのではない。私たちは、神のうちに生き、動き、存在しているのである」
とあります。この事実を知っているでしょうか。

  カール・バルトは「悔い改め」という説教で言いました。
「悔い改めとは、私たち常に見落としている、最も近くにあるものへの立ち返り、私たちが常に会いえない生の中心への立ち返り、私たちにとって常にあまりにも高く、あまりにも困難な最も単純なものへの立ち返りである。
  神はわれわれの最も近くにいますものであり、神はわれわれの中心でありたもう」
私たちにとって大切なことは、ただそのあなたの中に、「インマヌエル、神われらと共に」が今あるのですよ、あなたはそのことに気が付いていないだけです。こう言ってあげることではないでしょうか。これこそ私たちを根本的に変えるメッセージです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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