1月4日(日)「新しいもの」説教要旨
黙示録21:1-4

  これまで述べられた審判、さばき、罰は、すべてここで語られる新天新地、すなわち新しい物事の秩序への移行過程に過ぎません。
  「こうして新しい朝の力強い慰めの約束に満ちた光が、ますます強く射し込んできます。これまでに描かれた審判のあらゆる苦悩は忘れさられ、神の『新しさ』が、すべてのものをおおっています」。
  手術は、最後でも目的でもありません。それは手段に過ぎません。目的は、リハビリし社会復帰することにあります。そのように、「さばき」は決して目的ではありません。

  ここで記されていることの第一は、「新しいこと」です。私たちは、何らかの意味で、決定論に禍いされています。まず「性格」という決定論、血液型、星、「仕方がない」といつも言います、
  しかし、
「目がいまだ見ず、耳がいまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」(Ⅰコリント2:9)、
  「いにしえからこのかた、あなたのほか、神を待ち望む者に、このようなことを行われた神を聞いたことはなく、耳に入れたこともなく、目に見たこともない」(イザヤ64:4)。
このことを信じることです。

  「新しいもの」、それは人知で到底測り得ない、全く新しいものの範疇です。あなたは自分を新しく変えることができますか。自己変革できない組織は、必ず滅亡の道を歩みます。自己変革できない人は、老化し枯渇します。この「新しいもの」は「希望」と言い換えてもよいです。
  「希望」に反する罪は、「傲慢不遜」と「絶望」です。傲慢不遜とは、神によって不思議に成就することを、先走りして人間が勝手に先取りすることです。それは難破し挫折します。絶望は、その反対に、神によっって望まれることに不成就を勝手に先取りすることです。傲慢不遜と絶望とは、共に親戚です。希望はいつも「全く新しいもの」の範疇にはいります。
  「目がいまだ見ず、耳がいまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」(Ⅰコリント2:9)ことを信じるのです。信仰と希望とは共に手を携えて歩みます。

  
  「そしてわたしは、新しい天と新しい地を見ました。というのは、第一の天も第一の地も過ぎ去り、海ももはやなくなったからです。そして聖なる都、新しいエルサレムが天から、神のもとから、その夫のために着飾っている花嫁のように用意をして下ってくるのを見ました。
  また玉座から大きな声で言うのを聞きました。『ごらんなさい、神の幕屋が人間たちと共にあり、また神が彼ら人間たちと共に住み、彼らは神の民となり、神ご自身、彼らと共にいますでしょう。そして神は、彼らの目から、すべての涙をぬぐい取ってくださいます。もはや死も悲しみも叫びも苦悩もなくなるでしょう。最初のものが過ぎ去ったからです』。
  それから玉座の上に座っている方が言いました。『ごらんなさい、わたしはすべてのものを新しくします』。また言います、『書き記しなさい。これらの言葉は真実で真理である』。そしてわたしに言われました、『すでになりました。わたしはアルファであり、オメガです。初めであり終わりです。渇いている者には、わたしがただで、命の水の泉から与えましょう』」
  (黙示録21:1-4)。

   「ごらんなさい。わたしは新しい天と新しい地とを創造します。先のことは覚えられることなく、心に思い起こすこともありません。しかし、あなたがたは、わたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びをえなさい。・・・彼らの勤労は無駄ではなく、その住むところの子らは、禍いにかかりません。
  彼らは、主に祝福された者のすえであって、その子らも、彼らをいっしょにいるからです。彼らが呼ばない先に、わたしは答え、彼らが、なお語っている時に、わたしは聞きます。狼と小羊とは、共に食べ、ライオンは牛のようにわらを食べ、蛇はちりを食物にします。彼らはわたしの聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることはありません」
  (イザヤ65:17)。
  これがイザヤが告げる終末の完成における、世界の姿にほかなりません。そこには、今日エコロジーと言われていることの解決があります。猛獣が草食動物のようになり、狼が小羊といっしょにいるからです。新しい天には、新しい地もともなうのです。新しい地とは、自然が新しくなり、それは環境が全く違う世界になることではありませんか。
  ブロッホは、新しいものに出会うには、「外に出ること」だと言いました。自分の殻から外に出ることです。そこで全く新しいものに出会います。希望とは、出発点からやり直すことのできる力にほかなりません。  
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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