12月23日(日)「子供のメシア性−幼児キリスト」説教要旨
イザヤ7:14-15 ルカ2:8-14

  『人間のない神』という小説があります。
  神は絶対者で天の高みにいらっしゃるのですか。それはユダヤ教、イスラム教の神でしょう。いやユダヤ教でもイスラム教でも、本当は人間のない神ではありません。
  「天が地よりも高いように、わが道はあなたがたよりも高い。天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。このようにわが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない、わたしの喜ぶところことをなし、わたしが命じ送ったことを果たす」(イザヤ55:9-11)
  とあります。
  しかし、キリスト教ほど、人間の面がはっきりしていません。なぜなら、今日、神は一人の幼児になられたからです。
  他の宗教では、「人と共に」といっても霊的な意味です。キリスト教では、現実に神が人となられたのです。モルトマンは、「イエスはマリアの胎で、胚になり胎児になられた」と書きました。それを聞いて流産の経験のある婦人が、また車椅子の筋ジストロフィーの兄弟が感動し、勇気を与えられました。「人間のない神」ではありません。まさに人間になられた神です。
  皆さんは、高い神なら信じられますか。天高く、永遠で、絶対である神なら信じられますか。それは「人間のない神」ではありませんか。今、神は人となられたのです。それどころか馬小屋で生まれました、動物たちと、牛や馬、猫や犬と共にある、まさにエコロジーです。いやこの御子は、「神の小羊」、「ダビデのひこばえ」、「明けの明星」と、動物・植物・鉱物の名で呼ばれさえします。そこに神がいらしゃる。「人のない神」どころか、人も動物も植物も鉱物もいる神であります。。

  「小羊」ーそれは神の祭壇に捧げられる十字架のイエス・キリストです。他者のために、ご自身を捧げられる愛の神です。こうしてクリスマスは他者のことを考える日です。
  サンタクロース(セイント・ニコラウス)は小アジアのミラの司教(345年頃)で、ディクレティアヌス皇帝の時迫害され、投獄の後、釈放されました。彼は貧しい人に、自分のものを与えた人です。
  クリスマスとは、自分を他者に与えた神の誕生する日です。それはあなたの中にも誕生しなければなりません。「ひこばえ」ーそれは幹が伐り取られ、その切り株に生える新芽、それです。大木が切り取られる。事業に失敗して大損する、愛する者を失って苦しむ。そこに「新しい芽」が生えるのです。
  今、苦しみの中にある人、この「ひこばえ」を忘れないでください。「明けの明星」ー薄く暗いところ、宵に輝く星、それが今、生まれたキリストです。その時代は、真っ暗でした。現代の暗さどころではありません。「光は暗きに照る、闇は光に勝たない」のです。

  ブルムハルトは言いました、
  「もし一人の幼児が飢えに苦しみ、泣き、助ける者がいないなら、キリストはよみがえらなかったことになる」と。
  クリスマスに生まれたのは「人間のいる神」です。皆さんは、痛みもなく、苦しみもなく、天の一角にいます神なら分かりやすいですか。それとも人となった神が分かりやすいですか。
  私たちの礼拝でヒューマン(人間的)なものを感じられなければ、礼拝は失敗しているのです。今、礼拝しているのは、「人間のない神」ではなく、「人間のいる神」であります。
  かってチェコで「人間の顔をした共産主義」と言う人がでました。しかし、ソ連の戦車で押し潰されました。この幼子も、共産政権の権力で押し潰されそうになりました。しかし、この幼子が勝ちました。
  ローマの時代、背教者ユリアヌス皇帝(361−63年在位)は、キリスト教を撲滅しようとしましたができず、最後に「ナザレ人よあなたが勝った」と言いました。。今日は自然科学者の中に宗教を否定する人がいます。また日本ではオカルト宗教がはやるので、宗教を警戒する人もいます。それはオカルト宗教が、人を洗脳をし、人間を人間として扱かわないからではないでしょうか。
  しかし、この御子は、「人間のない神」ではありません。まさに人となられた神であります。いやそれどころか、イエスは、「子供と女を除いて数える」家父長制の古代社会で、女性・子供を大切にしました。このイエス・キリストこそ、その後のあらゆる人権の源、源泉なのです。
  今日ベツレヘムに生まれた御子は、
  「人は安息日のために設けられず、安息日が人のためにある」
  と、原理主義を否定しました。人間こそ、この御子の信仰の中心です。弟子たちが、子供を退けた時、イエスは「そうしてはいけない」と言って子供を真ん中に立て、祝福し、「天国はこのような者の国だ」と言われました。
  今、この教会に来る人が増えています。科学技術の時代、そこには人間らしさが欠け、行く先が分からなくなり、不安だからではないでしょうか。倉橋由美子の小説『人間のない神』には、「どこにもない場所」という副題がついています。それはどこにもないのです。とすれば世界に残るのは「人間のいる神」です。
  「神が人となられた以上、人間が万物の尺度である」(バルト)。クリスマスは、他者を思い、人間を大切にする日なのです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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