8月19日(日)「異質なもの」説教要旨
箴言18:1 マルコ9:38-41

  ヨハネはイエスに言いました、「先生、わたしたちに従ってこない人が、あなたの名によって悪霊を追い出しているのを見ましたが、わたしたちに従ってこないので、やめさせました」。イエスは言いました、「やめさせてはいけません。誰もわたしの名で力ある業を行いながら、すぐにわたしをあしざまに言うことはできないからです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です(マルコ9:38)。「己を人と異にする者は、己の欲することのみを求めて、すべての善き考えにもとる」(箴言18:1、 文語訳)。これは「自分を他とセパレート(分離)する人は、自分の欲することばかり求めて、すべての善いこと反対する」という意味です。これは私たち日本人のためにある言葉です。日本人は、長い鎖国のため、またキリシタン迫害のため、よそ者を受け入れにくくなっています。その証拠に、日本の難民政策は、犯罪者扱いで、追っ払えという方針です。あのクルドの難民は日本で受け入れられず、結局カナダに行きました。私がドイツに行ったばかりの時、近くに挨拶に行ったところ、「この金曜日が私の誕生日だから、来てください」と招かれました。何と日本と違い、異質なものを受け入れる国柄でしょう。  私たちの中には、ある種の「敵−味方思考」があります。そのさいわたしたちは、よくその内容を考えず、また細かに見て、良い点、悪い点を調べもせずに、すぐ相手をパターン化して「あれは敵、これは味方」ときれいに分けてしまいます。そしてそこには、随分と身勝手な思想がつきまといます。「自分たちについてこないから、イエスの名を使ってはいけない」、「イエスの名を使うなら、自分たちについてこい」、こういった自分中心の思想がついてまわります。一体、信仰の世界に「専売特許」とか、「商標登録」などあるものでしょうか。イエスはこういう敵−味方思考を否定します。イエスの十字架は、決して一方の側の旗印ではありません。むしろイエスは十字架の上で、「父よ、彼らをゆるしてやってください」と、敵のために祈られました。 ここでもイエスは言いました、「やめさせてはいけません。誰もわたしの名で力ある業を行いながら、すぐにわたしをあしざまに言うことはできないからです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です」と。イエスはいつも、敵の中に味方を見ます。イエスの名のもとにある人は、みな友達です。信ずる人は、狭くなってはなりません。どんな小さなことでも、イエスの御名のためにする行為は、神の目に忘れられることはありません。必ずその報いがあります。それはイエス・キリストご自身に仕えているのと同じことをしているのです。わたしたちは大きなことばかりでなく、ほんの小さなことにも、イエス・キリストを言い表し、友をつくってゆかなくてはなりません。

   「わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる人は、むしろ大きな引き臼を首にかけられて、海に投げ入れられた方が、よい。もしあなたの手が、あなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。両手を持ったままで、消えない地獄の火に入るよりは、片手のままで、いのちに入る方がよい。 反対に、そのような小さな行為を馬鹿にしたり、小さい者を軽視するなら、その人は、さばきを受けます。だから小さい人をつまずかせる、その手、その足、その目を切って捨てなさいと言われます。ずいぶん厳しい言葉だと思うでしょう。純粋になろうとするために、人を排除するなら、自分だけの純粋も保つこともできず、かえって不純になるでしょう。イエス・キリストは、よいものも悪いものも共に負おうとなさいます。「共に」ということが、つねにキリスト者の従う原則です。天の父は、正しい者にも、正しくない者にも雨を降らせ、太陽をくださいます。「あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者になりなさい」(マタイ五・四八)とは、一点の曇りもない完璧さではなく、すべてを包む神の愛の大きさです。わたしたちはそれに反し、小さい者を受け入れないで、これにつまずきを与えていないでしょうか。

  永遠の神が、全く異質なところ、相対的な罪ある者のところに来て交わったのです。イエスは罪人・取税人の友となりましたが、パリサイ人のところへも招かれれば行きました。その何ものにもとらわれない自由闊達さに学ぶべきです。私たちも、異質なものを受け入れなくてよいでしょうか。外国の人ばかりではありません。嫁と姑、異質な隣人、それを受け入れることが大切です。「キリストも私たちを受け入れてくださったのだから、私たちも互いに受け入れあって、神の栄光をあらわすべきである」(ローマ15:7)。「空の鳥が空気を必要とするように、お魚が水を必要とするように、私たち人間は、互いに受け入れられることを必要としている」(モルトマン)。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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