8月12日(日)「神の世俗化」説教要旨
イザヤ26:7-13 マルコ13:3-13

  「神は言葉で、その初めにあったロゴスは、肉体を取り、人となった」(ヨハネ1:14)。しかし、ユダヤ教、イスラム教では、神が人間になるなど、決して認められません。なぜなら、神は絶対者で、すべての相対的なもの越えて高くいますからです。しかし、「いと高く、いと上なるもの、とこしえに住むもの、その名を聖ととなえられる者がこう言われる。私は高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊を生かし、砕けたる者の心を生かす」(イザヤ57:15)とあります。真の絶対は、相対に対立し絶対に超越しているのではなく、相対をも包み越える絶対です。復活の主は「見よ、私は世の終わりまであなたがたと共にいる」と言われます。つまり、神は「世界内」にいるのです。それなら「神の世界化」と言えば良いのに、なぜ「神の世俗化」か。世俗は通俗を表します。神はこの俗ぽい通俗になられたのです。人間は、「三位一体論」で悩み苦しむ訳ではありません。人びとが悩むのは、通俗のこと、お金がない、食う物がない。そういうことで悩みぬくのです。その通俗のところに、神はいらっしゃるのです。私たちはふつう、神、信仰、聖書はきよく貴いものであって、それは高く、しかし、私たちの悩むのは、低い通俗のことと割り切っていないでしょうか。その時、危険な二元論が生まれるのです。二元論の信仰は力がありません。

  福音書のイエスは、病気、貧しさ、苦しみのところにいつもいます。「健康な者には医者はいらない、ただ病ある者のみこれを要す」と言われました。病気の時、医者に行くことはよいでしょう。パウロも医者ルカを伴っていました。しかし、医学が病気を直すのではありません。神が直すのです。病気の時、神の「いのちの泉」を忘れてはなりません。神の自然の良能を忘れると、あなたは薬に頼り過ぎ、神さまを忘れます。医者に行く前にお祈りしなさい。神が力であることを忘れてはいけません。「病める人よ、からだだけではなく、あなたの心も病んでいるかもしれないと、時々考えることは、非常に健康的で、すがすがしいことです。さもないと、あなたは、からだの痛みに捕らわれて、神を忘れがちになります。こうして、心の病んでいることに気づいたなら、その心を、今日も支えて、勇気と喜びで満たしてくださる神の聖霊により頼みましょう。そうすれば、あなたは、問題の解決にあと一歩なのです」。 ブルムハルト牧師は、政治の世界に乗り出した。彼の選挙演説は、まるで説教のようであったと言われます。また政治的集会で彼が出ている時は、たといそこでキリストとか神について、何一つ発言されなくても、そこに出席していた人びとは、あたかも礼拝に出たような感じがしたということです。皆さん、これが、ほかでもなく「神の世俗化」でないでしょうか。キリスト教の神は、背後の上なる世界に鎮座する形而上的に、追放された王ではありません。むしろ神は、この世にはいってくる。その私たちこの世と共なる、共在はきわめて深く、「反対の相の下」(ルター)世界の中に隠れています。 

  神は、今日もなお、弱さのもとにその力を(Tコリント一・二五)隠しておられます。 神は、私たちの世界の中で神の死について語られる、今日もまた、いや今日こそ、その死のもとに生を隠しておられる。神は離れたお方であると共に、世俗的にも神について語ることができるということが、「神の死[十字架]の神学」の正当な関心事なのです。私たちの世俗の世界の中では、ただ世俗的言語においてのみ、神は証しされます。その外見からすればまったくそこで死んだとしか思えないとしても、なお世界に生きておられる方として証されるのです。神なき世界において、この世的に神を語る具体的問題が大切であります。「イエスは神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである」(2:17-18)。私たちはふつう「主イエス・キリスト」と言って、高いところにいます、崇高なキリストを信じ崇めていますが、私のすぐそばに、私の兄弟として、この私の苦しみを共にし、試練に悩んでくださるイエスを信じているでしょうか。私たちは英雄的なキリストを連想してはなりません。この地上をはいまわり、試練の中で苦しみぬき、もはや何の力も、強さも残らないまでに、自分を捧げつくし、悪魔との戦いで丸裸にされ、ただそこに神の言葉以外に何も残されていない、私の兄弟イエスを見るべきです。荒野の誘惑は、そのことを表しています。イエスは、空腹のあなたのかたえにいます。病めるあなたと共に、病んでおられます。弱いあなたの弱さを、いっしょに痛んでおられるのです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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