3月25日(日)「自分を信ぜよ」説教要旨
マタイ22:34-40

  日本は集団主義的で、完全には個が確立していないようです。いわゆる「アイデンティティー」が確立していない。
  たとえば、何人かが話しているとする、主たる話し手の強い主張に、表だって反対できません。もし不満なら陰で言います。したがって、社会は陰湿になります。
  また英語がよくできる人が、外国でぺらぺら対等でしゃべっているように見えても、その人の独自性がなければ馬鹿にされます。日本人は自己確立がないから、「郷に入っては郷に従え」と、簡単に順応します。実に変化自在です。
  論文というと、他の人のことを並べ立て批評するだけです。「あなた自身の意見は」と聞かれると、何もない。それは読んでまとめるけで、思考していないからです。
  日本の文化は主として模倣の文化で、創造の文化が少ないです。「長いものには巻かれろ」とも「出るクギは打たれる」とも言います。皆、人の顔を恐れて生活しています。ですから就職活動する男女は、その服装で一目で分かります。成人式もまるで制服のように晴れ着です。プールで「さようなら」と指導の先生の掛け声でいっせいに言います。会の終わりに「頑張ろう」といっせいにこぶしを上げる。こういう姿はヨーロッパの生活に慣れた人間には異様にうつります。

  では信仰者は、神により頼むから、依存心が強く、アイデンティティーがないのでしょうか。
  今日の箇所に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』とあります。
  神を愛することは全心全霊をこめてです。そして隣人を愛する時、「自分のように愛しなさい」。とすると、隣人を愛することには、「自分自身を愛する」ことが前提となっています。誰でも、きわめて強く深く「自分自身を愛する」ものです。その深さと強さを隣人に押し広めなさいと言っているのではないでしょうか。「自分自身を愛する」、その上に立って、「隣人を愛しなさい」と言われています。もし私たちが自分自身を愛しないで、自分自身についていい加減なら、どうして神や隣人を愛せるでしょうか。
  ここには自己確立があります。絶対なる神とこの唯一絶対なる自分は、どこかで結びついています。

  ここに三通りの人がいます。
   1 信仰によって、他力本願になり、他者依存、つまり絶対他者である神に依存して、自己が確立していない人(気の弱い人、「絶望して自己自身であろうとしない人」)がいます。
   2 次に信仰などいらない、そういうことは弱い人間のすることだ、自分は自己自身にのみ信頼し、何でも自分で切り開いてきたという強い人(「絶望して自己自身であろうとする人」)がいます。
  さらにもう一人いるのではないでしょうか。神に目が開かれて、神に基づいて、初めて自己が確立した人、(「絶望して、それを乗り切った人」)。
  私はドイツへ行って、ここでは神の信仰が生きているから、人間が大切にされ、それと共に、自我が確立したと言えるのではないかと思いました。その証拠に、絶対なる神のいない日本では、絶対なる自己が確立していないので、人権の問題もいい加減です。

  ではどうして「絶望して自分自身であろうとする」(強情、頑固)のでしょうか。
  たとえば仕事に自信があり、なんでもこなす仕事人間に絶望がおとずれます。原因は、仕事上の大失策、人間関係の挫折、それは仕事関係でもあるし、家族関係でもあり、極端になると、離婚にまで発展します。そしてガンや脳や心臓の疾患です。こういう人は、この種の絶望に案外弱いです。
  また「絶望して自分自身であろうとしない人」は、依存症で、自己が確立していません。さらに「絶望を自覚していない人」は、いくらもいます。
  しかし、もう一つの道があります。それは信仰において神を愛することによって、隣人を見いだし、自分自身を見いだしてゆく人です。この第三の構造が日本には少ししかありません。「隣人を自分のように愛しなさい」。自己愛が隣人愛につながるためには、神がなくてはなりません。しかし、それは「自分自身を愛すると同じように」です。
  あなたは自分自身を愛していますか。自己嫌悪というのがあります。一種のうつ傾向です。反対に、自己確信、自己顕示欲の固まりもあります。しかし、いずれも何かが欠けています。「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい」が欠けています。だから「自分も愛せません」、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」もありません。しかし、このことが分かれば、何かが変わって来ます。ただの神依存症の信仰から、全身全霊をもって神を愛する信仰に、そして自分を愛し、自己顕示と自己嫌悪を克服して、「汝の隣人を愛せよ」という信仰に到達します。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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