12月25日(日)「三人の博士」説教要旨
   マタイによる福音書 2章1節〜12節

 「三人の博士」、しかし、聖書には、三人とは書いてありません。それは三つの贈り物から判断したのでしょう。すると、注目は贈り物にあります。高価な贈り物ですが、しかし、ここで贈り物の最大のものは、むしろ神が私たちに贈る贈り物です。「神はひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠のいのちを得るためである」(ヨハネ3:16)。クリスマスとは、神がこの世を愛されて、そのひとり子を贈られたことです。神は、イエス・キリストにあって、ほかでもなくこの世を愛されました。私たちが嫌っている悪や困窮、失望や病、罪で満ち満ちたこの世界を愛されたのです。このような世、罪なる人をほかにして、神の愛に値するものがありましょうか。イエスは、「兄弟のみに挨拶し、自分にとって都合のよい者のみを愛しても、何のすぐれたところがあるか」と言われました(マタイ五・四七)。天の父は、良い者にも悪い者にも雨を降らせ、暖かい太陽を照らしてくださるゆえ、敵を愛し、迫害する者のために祈れと教え、自らも十字架の上で、盗賊を愛し、ご自身を十字架につける者たちのために、ゆるしを祈りました。神は、そのように世を愛されました。しかし、神は罪を愛したのではありません。むしろ、罪を憎み、世を愛する道、それはこの世の罪を負う以外にありません。「ひとり子を賜う」とは、与え尽くすことにほかなりません。それは十字架に通じます。私たちは神の多くの賜物(プレゼント)を求めていますが、今、神が「ひとり子」という最大の賜物をくださった、この唯一の賜物を受ける時、そこにのみ、「永遠のいのち」があることを忘れてはなりません。この賜物なしには、私たちは、他のすべてのものを持っていても失われています。物質は永遠ではありません。今日の状況を見ると、「永遠のいのち」なしに考えられません。一人の何の罪もない子が犠牲にされる、そんなことあってよいのでしょうか。多くの災害、しかし、もし永遠のいのちがなければ、解決できないことばかりです。「われは天地の造り主、全能の神を信ず」で始まる信条は、「永遠のいのち」で終わるのです。何と意味深いことでしょう。年を取ると、その意味が深く分かってきます。いや、それどころか、このひとり子は、十字架ですべてのものを捨てたのです。ですから、クリスマスは与える日です。「自分を得ようと思うなら、失い、自分を捨てるなら与えられる」とのイエスの言葉を忘れてはなりません。人はすべてのものを捨てる時、すべてのものが入ってくるのです。アウシュヴィッツの収容所で、その深い体験から新しい精神医学の道を確立したフランクルは、あの地獄のような苦しみの中で、信じ愛していた者が、最後に救われたと言っています。「苦しむ者に、一切れのパンを分け合う心をもつ人が、あの収容所の非人間性の中で、生きぬけるのです」。
 たといあなたが死の床にいても、その方はあなたの主で、「すべてわたしを信じる者は、滅びないで永遠のいのちをえる」と言われたのです。この十字架の愛を信じるなら、永遠に滅びない。ここには「すべて」と言われています。それは十字架における神の堅い決意です。誰ももらさず、「すべて」という意味であります。あなたも入るのです。今、苦しむ人、無意味に生きている人、あなたは今新しくなれるのです。生まれ変わることができるのです。そこには十字架の愛という新しい目標があるからです。その人は滅びない。1月6日公現祭(三人の博士の日)の賛美歌「たえにうるわしや、ヤコブよりいでし、あしたの星よ」は、黙示録22:16「わたしイエスは、使いを遣わして、諸教会のためにこれらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの若枝であり、輝く明けの明星である」に対応しています。この永遠なお方は滅びない。最後に勝利すると。「救いとは人間が神ともう一度真の交わりを結ぶことによって、他の人間や世界と、失われた関係を取り戻すことにほかなりません。ですから個人だけ、選ばれた者だけが救われるということはありえません。全人類と全世界が救われ、その本質が根本的に改められ、生きとし生けるものすべてが生まれ変わらなければ、十字架に表される、この世の苦しみと悲劇は、絶対に終わりには達しないでしょう。私の救いは、他の人の救いとかかわりあっているばかりか、動物、植物、鉱物、いや一枚の草の葉とさえもかかわりあっているのです。こうして宇宙のすべてのものが全面的に変容し、神の国のものとならなければ、私自身にも救いはないでしょう。それは、この神の無からの創造に応答する、私の創造活動いかんにかかっていると言っても過言ではないでしょう」。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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