12月18日(日)「ザカリアの賛歌」説教要旨
   ルカによる福音書 1章67節〜80節

 いよいよ、ザカリヤの年取った妻エリザベツに、子が生まれました。人間のあらゆる思惑を越えて、神の御業がなります。ザカリヤは、この間、口をきくことがことができません。しかし、彼は、その子の名を問われた時、御使いの言うとうり、「その名はヨハネです」と書きました。不服従なザカリヤは、ついに神の御旨に従いました。この不思議な神への服従は、ザカリヤを聖霊の器にしました。彼は、聖霊に満たされ預言します。聖霊の器は、欠けていてもよいし、年とっていてもかまわないのです。ペンテコステの時に語られた、ヨエルの預言は、年令・性別・身分に関係なく、聖霊を受けると言われています(使徒行伝二・一七)。九か月にわたる長い沈黙の時は、ザカリヤにとって、決して無駄ではありません。それは、ザカリヤを完全にからにしました。聖霊の器は、欠けていてもよいけれども、「空(から)」でなくてはなりません。そしてその時、彼は、疑いつぶやく信仰から神をほめたたえる信仰に変えられました。「どうして」という疑問、「そんなことがありえましょうか」という宿命観から、主の恵みを高らかに歌う賛美の歌へと。私たちも、しばしば苦しみのどん底におかれ、沈黙する以外になくなる時、それは、私たちをからにします。からになった茶碗でなければ、おいしいお茶や御馳走を入れることはできません。神さまもまた、同じです。私たちが、本当にからになった時、私たちの家に入ってこられるのです。古い自分が死んで、からになったその時、生ける神が入ってこられるのです。
  からになった人、ザカリヤは、讃美歌を歌いました。私たちも、讃美歌をよく歌います。しかし、讃美歌とは、神をほめたたえる歌です。ただメロディーにのって、いい気になっているのではなく、神を大きくしなくてはなりません。一切の一切であられる神が、私と共にいたもう、ですからこの神を讃美する歌は、心から、魂の奥底から、そしてからだ全体から出てきて、神を大きくするものでなくてはなりません。このように神をほめたたえる讃歌には、自分の子ヨハネについては、ほんの二、三行しか語りません(七六、七七節)。しかもヨハネは、救い主キリストを指し示す者として誕生したので、決して英雄や偉人ではありません。したがって、ここではただ神の約束と、クリスマスで祝う救い主キリストについて語られているのです。その人の中で、キリストが大きくなればなるほど、そしてそのキリストのかげに、その人が小さくなればなるほど、実にその信仰は大きいのです、したがって、キリストが大きければ大きいほど、真のクリスマスに近いのです。ザカリヤが、口を開いて第一に告げたことは、イスラエルの解放でした。福音とは、実に解放の福音であります。何と今日、解放が必要なことでしょう。
  「主が、その民をかえりみ、あがないをしてくださったからです。
主は、私たちのためにその僕ダビデの家に救いの角をあげられました、
昔からその聖なる預言者たちの口をとうして、お語りになったとうりに」。
 「救いの角」、それは、力強い救い主のことであります。「私は、ダビデのために、そこに一つの角をはえさせます。私は、私の油注がれた者(キリスト)のために、一つのともしびを備えました」(詩篇一三二・一七)とあります。この救いの角は、「ダビデの王座が揺らぎ、人びとが散らされた時、救いの希望が全く見失われた時」その時に、現れます。まさにまわりの状態が、悲観的で、絶望的と見える時、突如として、 信仰復興(リヴァイバル)が起こるのであります。私たちの中にも、必ずこの救いの角が現れます。 イスラエルは神から離れた時、ついに敵の手に落ちました。 バビロニアへの補囚をごらんなさい。まさに、そうではなかったでしょうか。しかし、それでもなお神は背くイスラエルに対してあわれみをたれ、実に 救いに導かれたのです。今日の礼拝の形ができたのは、バビロニア捕囚からです。彼らが救われたのは、神の聖なる約束によることです。ここには、不真実な人間のことが言われているのです。しかも、どんな私たちの不真実にもかかわらず、いや私たちの不真実のただ中で、神は、私たちに対して、真実を貫いてくださるのです。神の言葉は、その真実さのゆえに、私たちの胸を打つのです。ですから、ここでは、不真実な、不従順な私たちのことが言われているのであります。何も出来ない、祈ることさえもできない、ほんの少しも祈ることすらできない、この人間のことが言われているのです。このように、神は不信仰なイスラエルに対し真実にましましたのです。それと同じように、私たちにも真実でありたもうでしょう。それだからこそ、救い主キリストを、私たちのために生まれさせ、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになりました」といわれるのです(二・一一)。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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