11月6日「すばらしい愛」説教要旨
コリントの信徒への手紙一 13章 1節〜 13節

 この頃、よく「カリスマ美容師」とか、カリスマという言葉を、すぐれた能力の意味に使います。しかし、カリスマというのは本来、聖書の言葉です。それは神の恵み(カリス)によって与えられたものの意味です。聖書では愛は最高のカリスマなのです。しかも、聖霊の賜物の中でも最高のものです。ところが私たちは、「あの人は愛のある人だ」とか、愛を人間の資質か力のようなものに考えていませんか。しかし、「愛は神から出るものです」(Tヨハネ4・7)。私たちがごく卑近なもので苦しみ、怒り、騒ぐのも、人間の愛の問題です。すると、聖なる問題と日常の問題が一つにつながっていますが、それは愛なる神がご自身に似せて人間を造られたからです。他の賜物は消えてなくなります。霊の賜物もなくなる時がきます。ここにあるようにたとえ異言・預言・知識であってもすたれます。またお金も物もなくてならないものですが、いつかなくなる運命にあります。だからと言って、価値がないというのではありません。ただそれは暫定的な価値でしかありません。しかし、愛は最後まで残り続けます。どんな霊の賜物があっても、預言がどんなにすばらしくても、それは「人生の意味」にはならないでしょう。けれども愛は、人生の究極的意味になります。愛を欠くなら、他のどんなすばらしいものも、その意味を失います。言葉の才、雄弁の魅力があっても、「たとい御使の言葉を語っても、私に愛がなければ、鳴り響く鐘や騒がしいラッパにすぎません」。「言葉の背後に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうでしょう」。「愛の中には、言葉よりも多くの沈黙があります」とピカートは言いました。愛は、言葉を語るし、また語らないで沈黙している時もあります。愛は沈黙の力である場合が多いでしょう。けれども愛は、沈黙にも、言葉にも捕らわれません。愛は言葉、雄弁以上、また沈黙以上であります。
 「知識は人を誇らせ、愛は人を形成します」。知識の言葉は、確かにすばらしいです。しかし、愛がなければそれらはむなしいのです。殉教の死においても、はるかに愛は偉大です。殉教でも自分を誇り、ただ見栄のためにする場合さえあるからです。 「たとい預言をし、すべての奥義とすべての知識に通じていても、また山を移すほどのすべての信仰の力をもっていても、私に愛がなければ、無に等しいものです。 もし自分の全財産を施しても、自分のからだを焼かれるために渡しても、私に愛がなければ、何の益にもなりません」。人は、利己心のために、それらすべてをすることができます。もちろん知識や預言がむなしいと言っているのではありません。ただそれらは部分的にすぎないと言っているのです。全部を知りつくしてしまうことは、私たち人間の誰にもできません。それらはまた過ぎ去ります。昨日の知識は、役に立たず、今日の知識によって乗り越えられます。しかし、愛は、乗り越えられることも、過ぎ去ることもありません。またたといほんの小さな愛であっても、それはいつまでも価値を失いません。神は愛であり、それが人生の意義だからです。愛は、あなたの手元にあります。もちろん知識もあなたの手元にあります。しかし、知識には能力の差があります。ある能力をもっていなければ、高等数学や難しい学問はできないでしょう。しかし、愛にはそういうことはありません。どんな小さい子供でも愛することはできます。愚かな者も、愛を行うことはできます。かえって賢い者よりも、愚かな者の方が、より多く愛する場合すらあるのです。そしてどんな小さな愛も永遠の意義があります。知識の場合、大きい知識の方が、いつも小さい知識よりもいばれるのです。愛には、そういう誇りはありません。
   愛はいつまでも絶えることはありません。真にイエス・キリストにある愛(アガペー)は、いつまでも絶えることはありません。それゆえ「預言はすたれ、異言はやみ」という事態、「諸行無常」という事態のなかにも、感謝していることができます。愛はいつまでも絶えることがないからです。それなのに、なおいやなことがあると、愛が消しとんでしまうのが人間の常ではないですか。しかし、決して忘れないでください。愛はキリストそのものなのです。だから私たちは愛をいただいているのです。だから失望しないし、すべてを信ずるし自分の利益を求めないのです。この愛はキリストだから、悪を考えず、すべてを望むのです。愛は希望の中にあり、愛は望みを生かします。望みは愛の中で生きます。愛と望みは手をつないでゆきます。愛はあげたから、もうなくなったということはありません。愛はいつまでも絶えることはありません。それは愛が神から出たもので、神のものだからです。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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