8月07日「イエスが与えるもの−信頼といやし−」説教要旨
ルカによる福音書 12章22節〜34節

 

  私たちがイエスに出あう第一は、その「信頼の教え」ではないでしょうか。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」。もう一つは、一羽の雀も、神のゆるしなしに地に落ちないという言葉です(ルカ12:2-6)。信頼の対象となるのは、空の鳥・野のユリです。それは撒かず、刈らず、倉に収めず、今日生えて、明日は炉に投げ入れられるもの、五羽二円で売られるすずめなど、皆、劣っているもの、信頼に足りないものです。私たちは、ふつう力強いから、大きいから信頼に足るというではありませんか。「あの会社は、大きいから信頼できる」。しかし、実際には大きな会社がつぶれています。ではなぜ小さいものが信頼できるのでしょう。この小さいものに、神の絶大な配慮があるのです。劣等感の固まりのような、愚かしいもの、それがあなたの信頼の源なのです。それはなぜでしょうか。イザヤは言いました、「わたしはあなたの名を呼んだ。たといあなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。わたしは主である。わたしのほかに神はない。ひとりもない。たといあなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする」(45:4-5)。つまり、「われ弱き時に強し」です。弱いところに宿る神の強さです。神は「ヤハウエ」、それは「私はならんとするものになる」と言う意味です。それはいと小さきイスラエルと共にいます神です。それが神の名です。しばしば「いやし」も、「イエス・キリストの名」によります。私たちはふつう「イエス・キリストの名によって」祈っているのに、あまりそれを意識しません。聖書では、この「名」が強調されるのです。いと小さきものに、神が名を呼んで下さるから、それは神信頼のしるしとなり、また神のいやしのしるしとなるのです。
   けれども、ここで長血の病の女に、イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言います。イエスの衣のすそにさわればいえると考えたの信仰に、そんなに力があるのでしょうか。力はイエスら出てきました。力はイエスにあります。ただ信仰なしには、イエスは何も行いません。「信仰なしには、イエスは故郷ナザレで力ある業を何ひとつ行うことができませんでした」(マルコ6:5)。ベテスダの池の病人にも、イエスは「なおりたいか」(ヨハネ5:6)。と聞きました。しかし、病人に「なおりたいか」聞くことは、愚かな問いではないでしょうか。違います。イエスは病人の意志、信仰を大切にします。「意志は医師である」。しかし、単なる意志ではありません。「信仰」という、「信じる」という意志です。「精神一到何事かならざらん」ではありません。それでは神がいません。「信仰」という意志は、神への信頼の意志です。イエスは「もしできればと言うのか、信じる者にはすべてのことができる」と言うと、「信じます、不信仰なわたしをお助けください」(マルコ9:24)。こう癲癇の子の父親は言いました。私たちの信頼には弱さがあります。しかし、その不信仰に過ぎないような信仰も、イエスは顧みたまいます。それは信頼もいやしも、イエスにおいて神の国とつながるからです。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは、添えて与えられる」、またいやしも、神の国と関係があります。「ベルゼブルによって」いやすのだという非難に対して、イエスは答えます、「しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているなら、神の国はすでにあなたがたのところに来ているのである」(マタイ12:28)。いやしは、神の国のしるしなのです。いやしだけなら、いやされても、また死ぬでしょう。神の国は、死を越えて、永遠のいのちにつながります。神の国は、病人とイエスとの出会いにおいて起こります。そこには現在と将来があります。「恐れるな、小さい群れよ、あなたがたに御国をくださることは父のみこころである」。神の国はヨハネ福音書では「永遠のいのち」です。永遠なしに、私たちは今日の世界で、不安を克服することができません。
 「すべての重病が死の前兆であるように、私たちもイエスの病人のいやしを復活の前兆として理解しなければなりません」(モルトマン)。けれども、いやされない病もあります。それはパウロの例です(Uコリント12:7-10)。パウロは、慢性病の中で、神の声を聞きました。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱いところに完全に現れる」と。それこそ「逆境の恩寵」にほかなりません。それは、あとで述べる苦しみといのちの問題です。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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