1月30日(日)「無力の力強さ」 説教要旨
 
−ヨハネの黙示録 3章7節〜13節−  

 

 


   「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。 「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは少ししか力がなかったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった・・・」。
  黙示録に出てくる7つの教会のうち、主から非難を受けていない教会は、ヒラデルヒヤの教会だけです。それは「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」からです。「少ししか力がない」とは、正確には「少し力がある」です。否定でなく肯定です。私たちはいつも、「少ししか力がない」、「お金がない」、「能力もないチャンスもない」と悲観します。しかし、主は、「あなたには少し力がある」と、小さな力がある、それを見失ってはならないと言ってくださいます。あの5つのパンと二匹の魚から、五千人を養いたもう主は、最も小さな者に目を向けます。名の哲学者、名の神学者ベンヤミンは、いつも小さなものに興味を示しました。そこが神が偉大な業を行いたもう場所だからです。「少ししかない」と言ってしまえば、それまでです。けれども、その少しの力を通して、神は勝利してくださいます。もちろん、私たちは、その小さな力を用いて蛮勇をふるうのではありません。「あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」からです。つまりその小さな力で「主の御言葉によりたのみ、忍耐して、主の御名を呼び続けた」のです。だから「だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない。その方が」勝利してくださるのです。鍵をもつのは主です。少しの力を持つのは私たちです。この鍵がなければ、たとい大きな力を持っていても、門は決して開かれないでしょう。こじ開けるのではありません。小さな力で、その扉を叩くのです。その時、開かれない扉はありません。

 

   
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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