日本キリスト教団

 
 
2024.04.21
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『エルサレムから始める』
ルカによる福音書
24章44-49節

 十字架にかかったイエスがよみがえり、弟子たちが集まっている部屋に現れ た。そして、手足を差し出し本当によみがえったことを示された。そして、弟 子たちにイエスの福音が世界中の人々に宣べ伝えられ、「エルサレムから始め て、あなたがたはこれらのことの証人となる。」(47-48節)と告げられた。

 まさに、ルカ福音書の著者は続く使徒言行録を書いて、福音がエルサレムか ら広がっていく様子を描いている。弟子のペトロは、ローマの百人隊長コルネ リウスの洗礼に立ち会い、福音が異邦人に宣べ伝えられることの証人となった。

 よみがえったイエスは弟子たちに「わたしは、父が約束されたものをあなた がたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」 (49節)と命じられた。弟子たちは、聖霊降臨の日にエルサレムにおり、聖 霊を受けた。弟子たちにとってエルサレムは、迫害を受ける危険があり、そこ に留まることは覚悟が必要だった。聖霊に励まされて弟子たちは踏みとどまっ た。

  「エルサレムから始めて」(47節)と、イエスは言われた。これは、弟子 たちが何かを始めたというのではなく、神様がエルサレムから伝道の業を始め たことを言っている。

 イエスは弟子たちに、ご自分の十字架と復活について旧約聖書を引用して説 明される。エルサレムはユダヤの都であり、さかのぼること1800年に及ぶ 神と人との関わりを振り返る町でもある。それは決して平和な関わりではなか ったし、ユダヤの人々は罪や不信仰を露にした。そして、イエスがエルサレム に行かれた時から、神の子イエスを憎む人々がエルサレムにいる。神様に対し て頑なな思いが、エルサレムに満ちている。イエスはエルサレムで十字架にか けられたのだ。
 
 そして、神はそのエルサレムで、イエスをよみがえらせた。神は聖霊を降り 注ぎ、ここから福音が広がることを願われた。私たちの思いを越えて、人間の 罪深さを露にする町から福音は広がる。弟子たちはエルサレムに踏みとどまり、 そこから福音が広がることを、神の御業をその目で見るのだ。罪の町に神の愛 が現わされ、世界に広がっていくのだ。神は、弟子たちを、多くの人々の罪を 赦し、新しいことを始められる。

 神を、イエスを理解せず、最後まで従うことのできなかった弟子たちだった が、赦され救いに招かれた。弟子たちはエルサレムで、イエスと共にあった 日々を想い起しつつ、イエスへの懺悔と感謝の念を深めていただろう。これが、 十字架と復活の福音を信じるということだ。弟子たちと同じように、私たちは、 自らの弱さと不信仰、神の前に取るに足りない者であることを知り、そこを通 して聖霊を受け、神様から永遠の命と、信仰、希望、愛を受け取るのだ。

  世界のニュースを聞くたびに、この世界に、いったいいつまで悲惨な出来事 が起こり続けるのだろうかと思う。しかし、その時、人の罪で満ちていたエル サレムを思い出す。罪の町はよみがえりの町、神の愛の表された町だ。エルサ レムから福音は始まり広がった。このことを思って、この世のあり様に失望せ ず、むしろ信仰を新たにされたい。

 愛隣こども園
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