日本キリスト教団

 
 
2024.02.04
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「系図の中の女性」
マタイ福音書1章1-6a、
16-17節
 マタイ福音書は、その最初に、イエスが救い主であることを系図によって示して いる。アブラハムから始まりイエスに至る系図には、4人の女性の名前がある。男 性中心の時代にあっても、系図の中に女性の名を書きとどめる。その理由は、律法 を守っていない人、罪人としてみられる人を系図の中に記録することによって、イ エスの祖先たちが生きたこの世は罪と無縁ではない場所だということを思い出させ るためだ。つまり、救い主イエスは、この罪の世にお生まれになり、この世の罪を 背負ってくださるためにお生まれになったということを告げている。3節のタマル は、人をだまして子をもうけた人。5節のラハブは遊女、ルツは異邦人。そして、 6節bのバテシバは、ダビデが夫から奪った人。

 この4人の女性の名が記されている理由の二つ目は、イエスの誕生が処女降誕、 聖霊によって宿ったということを予告している。イエスの父ヨセフは、マリアがイ エスを身ごもったと聞き深く悩んだことが、次の18節以下に記されている。そこ には、人の目に通常ではない出生となるイエスは、聖霊(神)の力によって生まれ た神の子であると記されている。このことの予告として、系図の中に通常の婚姻を しないで子をもうけた女性の名が記されている。

 つまり、神は、アブラハムの初めからこの世に神の御子を遣わすことを計画して おられた。神はこの世が救われることを願い、神の子を遣わし、十字架とよみがえ りの救いをこの世にもたすことをはるか昔から予定しておられた。系図の初めの人 アブラハムは、創世記では世界の「祝福の源」とされている。そして、アブラハム の末裔イエスが、世界に神の救いをもたらした。罪人が生き、善いことも悪いこと もあることもあるこの世界を、この世界の歴史を、神はすべてを受け止め、大きな 愛で包んでくださる。

  先日、イスラム教の国から来た人に「ガザの攻撃は同じ宗教の人として辛いでし ょう」と話しかけた。目を赤くし物憂い表情になられ、「この世界に救いがもたらさ 2 れる前に争いが起こると、コーランに書いてある。すべて神が予定していたことだ。だから、辛いけれども、耐えている。争いの後に必ず救いがあると思っている。」と 話された。憤る様子もなく、とても平和な宗教だと思った。

 自らに目を転じてみれば、福音書にイエスも救いが到来する前、終末になると愛 が冷え人々が争い合うと話しておられるが、私は、それは昔の人の考えだという程 度に受け止めていた。いわゆる、真に受けてはいなかった。それで私は、悲劇が起 こるとすぐに神に訴え、神を疑っているのだということを思った。聖書の言葉をど のように受け止めていくのか、平和な宗教であるとはどういう心構えであるべきな のか、ということを思わされる。

  イエスの系図の最初の人は、アブラハム。それで、ユダヤ教、イスラム教、キリ スト教、この3つの宗教は同じ祖を持つ「アブラハムの宗教」と呼ばれる。ガザの 攻撃とは、パレスチナ、イスラエル、支援する欧米の国々、アブラハムの宗教の中 で憎み合っているということだ。

  今、テレビ番組ではイスラエルが自らの忘れられない不幸な歴史の出来事を思う あまり、ガザを攻撃し続けていると解説されている。つまり、過去の不幸が今日の 不幸を生み出しているのだ。ユダヤ人が受けた苦しみは計り知れなく大きいが、し かし、罪の中にある間違った歴史とすることで良しとできるだろうか。

  神の予定していることだからと耐える人の言葉に、今こそ人の思いではなく神の み心を尊ぶことが大切だと思わされる。イエスの系図を見て、世界の平和を祈る思 いだ。

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