日本キリスト教団

   
2023.08.13
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「十字架を覚える」
ヨハネによる福音書
12章1-8節
 エルサレム近くの村ベタニヤのマルタとマリアの家にイエスがおられると、マリアはイエスに高価な香油を注ぎかけ、イエスに対する感謝の思いを表した。その同じ部屋には、イエスの弟子イスカリオテのユダもいた。ユダは、高価な香油を注ぎかけたことに対して厳しい言葉を発した。ユダは会計係で資金不足になっていたと言われているが、そもそも人が誰かに感謝をするということに思いが至らなかったのだと思う。マリアにしてみれば、イエスに助けられたことがあったり、死んだ兄弟ラザロを生き返らせてもらったりしたことは、イエスに対して大きな感謝の念を抱かせたことだろう。

 高柳俊郎先生の著書に、こんな逸話が紹介されていた。南米エクアドルに行った日本人信者が、山深いバナナ畑を通り過ぎようとすると一人の男に出会い、たくさんのバナナを無償で食べて行けと言ったという。その理由を聞けば、彼はまだ幼い頃に両親に捨てられ、町を彷徨っていると神父に誘われてバナナ畑に来た。畑仕事を教えてもらい、畑も手に入れることができ、家族もでき、自分は幸せ者だと心から感謝している。バナナの世話しかできないのに、こんなに幸せなのだから、道行く人を捕まえて感謝の思いを表しているのだという。涙なしには聞けない身の上話に感動させられながら、口いっぱいにバナナをほおばったという。

 誰かに感謝することができることは、とても素晴らしいことだ。そして、誰かへの感謝の思いが大きければ大きいほど、その人自身を支える力になっているのだと思う。8月の半ばになり、日本ではお盆の季節。多くの人が先立った家族を想い起す。愛されたことを感謝し、だからこそ、今を一生懸命に生きようと思う。感謝する心は、何もないところからは生まれない。自分にとって良いことを願い、そのようになしてくれた人が本当にいるのだから、感謝する心
は私達の生きる力となっている。マリアはイエスから受けた愛に対して感謝している。それを心の支えとしていることが伺い知られる。

 同じ場面を記しているルカ福音書の7章47節には、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」イエスからの大きな愛をしっかりと受け止めれば、深く感謝するようになるのだ。

 良い羊飼いであるイエスが、羊を守るために命を懸けてくださった。私達の救いのために十字架にかかり、大きな愛で包んでくださった。しかし、イスカリオテのユダは、イエスの十字架を知らず、愛を知らずにこの世を去ってしまった。私達は、イエスの十字架とその愛をしっかりと心に留めていたいと思う。

 愛隣こども園
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