日本キリスト教団

   
2023.07.02
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「神様と共に」
ヨハネによる福音書
6章1-15節
 ある教会で、聖餐式のパンを焼いてくださる方がおられた。私も、その方からパンをいただいた。美味しかったし、感謝の思いが湧いてきた。目に見えるパンは私たちの腹を満たす。そして、私は、人からいただいたパンによって心が満たされた。目に見えるパンの背後に、目に見えない思いが込められ隠されている。

 福音書に、イエスが救い主であることを証明する「 しるし 」 (奇跡)を 行ってほしいと 求める人がいた。イエスは、目に見えることによって信じるようになるとは、本物の信仰ではない のだ と退けられた。今日の箇所で 、 イエスを追いかける群衆も 本当のイエスのことをまだ見ていない。

 イエスは、わずかなパンと魚をもって大勢の人を満腹させた。目に見えるパンの背後に神のお働きがあること、パンには目に見えない神の恵みや命が隠されていることを悟ることを願っておられた。イエスは、 「 わたしは命のパンである 」
と言われる。つまり、イエスはパンを分け与えられたが、そのパンとはイエスご自身のことだった。イエスを受け取るなら、私たちの心にお迎えするなら、私たちの心、魂、人生は満たされるのだ。

 一人の少年が、皆のためにとわずかなパンと魚を差し出した。イエスは、この少年 の愛を喜び、わずかなものを大きく膨らませてくださった。一人の少年の小さな愛の業は、大勢の人々へと行き渡った。

イエスは、「 互いに愛し合う 」ことを 教えている。 パウロも 「信仰、希望、愛、この三つはいつまでも残る。もっとも大いなるものは愛である。」 (Ⅰコリント13:13) と言われる。神の目は、愛し合う私達に向けられている。私たちの業が小さくても、人々を愛する思いを込めるなら、 少年の小さな愛の業が膨らんだように、 神様は大きく膨らませ、意味あるものにしてくださる。 神様と共に歩むことの幸いを思う。
 
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