日本キリスト教団

   
2023.04.16
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「食事の席で
ルカによる福音書24章
28-35節
 イエス様は「重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われた。この「休む」という言葉は、休んで元気を回復するという意味。食事をするレストランの語源となったラテン語「レストラボー」も、休んで元気を取り戻すという意味の言葉。

 エルサレムの近くの村エマオへ急ぐイエスの二人の弟子(12弟子ではない)が、よみがえられたイエスと知らずに共に歩むことになり、宿屋での食事の席でイエスがよみがえったことに気付いた。彼らは、イエスと再び出会い、心も体も元気を取り戻した。

  12弟子以外にもイエスに従う多くの弟子がいた。イエスの弟子たちは、主が十字架にかかっていなくなってしまったので、途方に暮れて方々へ散っていこうとしていた。この二人の弟子もそのような人たちであり、十字架で死んだイエスがよみがえったと噂されていることに戸惑い、暗い顔をして真偽を論じ合っていた。イエスは、旧約聖書の言葉を引用して、救い主は苦しみを受けてからよみがえると書かれていると説明された。夕方近くになり、二人の弟子が宿をとるように引き留めたのでイエスと弟子たちは同じ宿に入った。そして、そこで目の前の人がよみがえったイエスだと知ることになった。


 この二人の弟子の前によみがえったイエスが現れた時、それは食事の時だった。この時の弟子たちは夕方まで歩いて疲れていただろう。一日の歩みを終えて、人としての弱さを感じていただろう。その時、イエスと出会ったのだ。食事は腹を満たすためにするが、この時のイエスの所作(パンを取って祈り、裂いて渡す)は、聖餐式を表わしているとも言われる。主の恵みをいただく時であり、私達の罪が赦されて魂に力を与えられる時だ。「疲れている者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招いておられるイエスによって元気を取り戻すのだ。二人の弟子たちは、イエスがよみがえったことを知り、喜びに満たされて生きる目標を取り戻し、力強く歩む人になった。

  この二人の弟子たちは、イエスを信じる私たちの姿でもある。私達は、人生の日々に様々な重荷や戸惑いを覚えつつ、人生を歩むことに疲れを覚えつつ、しかし、主イエスが共におられることを想い起して、私たちは元気を与えられる。私達は、いつもよみがえった主の命に包まれている。

 パウロは持病に苦しめられ、自分の肉体の弱さを痛感した。しかし、イエスをよみがえらせた神の力が自分自身にも働くことを信じて、「わたしは弱い時こそ強い」と言うことができた。よみがえりの主と共にあるならば、私達も弱い時こそ強い。いつも神の働きかけがあることを信じて元気に過ごしたい。
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