日本キリスト教団

 
2023.01.01
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「イエスがもたらす新しいこと」
ルカによる福音書5章
33-39節
  ヨハネの弟子たちがイエスのもとに来て、イエスの弟子たちはなぜ断食をし ないのかと問いかけました。この当時、ユダヤ教では、断食と祈り、施しは信 仰深い行いだとして特別に勧められていました。

  マタイ福音書6章には、イエス様がユダヤの人々が自分のことを人々に見せ びらかして、いかにも信仰深かそうにする。苦しそうな顔をして断食をする。 くどくど長々とお祈りをする。こんなにも施しているのだと見せびらかす。イ エス様は偽善者のようなことをするなと戒めています。ですから、ヨハネの弟 子たちがイエスの弟子たちは、断食しない祈らないと言ってきても、驚くこと ではありません。

 ヨハネの弟子達からの問いかけを受けてイエス様は、今、イエス様がおられ ることによって、この世に救いがもたらされている。今は、救いを喜ぶ時では ないか。それなのに、苦しいことをして辛いことを耐えて過ごすべきなのか。 今この時をどういう時だと思うのか。何をするのにふさわしい時だと思うのか。 こういう思いがイエス様の心の中に湧いてきたのです。

  新しい布は新しい布地に縫い付けないと、古い布ではほどけてしまします。 新しい布、古い布、どちらにも良くないことになります。新しいぶどう酒は新 しい革袋に入れないと、もしも古い革袋に入れたなら、新しいぶどう酒は古い 革袋に穴をあけてしまいます。どちらにも良くないことになります。新しい布 には新しい服を、新しいぶどう酒には新しい革袋を用意すべきです。喜ぶ時に は喜ぶのです。イエス様がこの世に現れたのですから、救いの時だと喜ぶので す。それが、今この時を過ごすのにふさわしいことです。

  さらには、イエス様の救いはこれからずっと私たちのもとにあるのですから、 私たちはずっと喜んでい生きていくのがふさわしいのです。イエス様がもたら したことは、私たちの救いです。私達が喜んで生きていくことです。

  パウロは、コリントの信徒への手紙の中で、神様の聖霊が私たちにもたらす 2 最も素晴らしい賜物は、愛であると言います。「信仰と、希望と、愛、この三 つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」神様の愛こそ が、最も大きな私たちの心の拠り所です。

  古代の教会の指導者、教父の一人、アウグスティヌスは、カトリック、プロ テスタントを問わず、今のようなキリスト教の礎を作った人物ですが、有名な 言葉があります。「私たちは神様によって作られた。だから、私たちの心が神 様の方に向けられなければ、私たちは本当の安息、魂の休まることを得るのだ」 という意味の文章を著書に書いています。

  神様は初めに天地を創造された。私たちは神様に愛されて、神様を愛して生 きていく。これが、この世界の、私たちの本来のあり様なのです。言い換えま すと、神様の愛をもたらしたイエス様のおられること、その救いを喜んでいる ことが、私たちのあるべき姿、最も良い幸せな姿なのです。

  新しい年を迎えました。喜んで過ごしましょう。今年は兎年ですが、兎の鳴 き声を聞いたことがありますか。以前、私の家で兎を飼っていた時、兎の鳴き 声を聞くことができました。安心している時だけ、かすかな声で鳴くのです。 私のそばで兎は鳴いてくれました。嬉しかったです。同じように、日々の生活 の中に、ほんの少しの平和を見つけたら、それを喜ぼうと思います。

  喜ぶことは何よりの力だと思うのです。世の中を変えるために、マルティン ルーサーキングは非暴力、イエスの福音に生きました。すべての人が神にとっ て大切な存在と思い、肌の色の違う子どもたちが一緒に過ごすことができる日 が来ることを夢見たのです。つまり、神の愛を喜んでいることが世の中を変え たのです。

  まだまだ世界の全ての人が平和ではないし、手放しで喜ぶことはできません が、平和を喜ぶことを忘れたら、平和な国に生きている私たちに何が残るのだ ろうかと思います。神様に救われた人が、救いを喜ばないで何があるのかとす ら思います。喜ぶことをしっかりと喜び、だからこそ、悲しんでいる人としっ かりと悲しもうと思うのです。



 愛隣こども園
宮城県仙台市青葉区五橋1-6-15
〒980-0022 ℡:022-222-3242