日本キリスト教団

2022.12.11
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「平和を喜ぶ」
テサロニケの信徒への手紙 Ⅰ 5章16-24節
  今日の聖書の言葉は、イエス様の救いを掛け替えのないものだと思う人は、 自分自身がイエス様の救いに預かっていることを思い、いつも喜ぶことができ る、祈ることができる、感謝することができると言っています。

 今日与えられたもう一つの聖書の言葉、ゼファニア書3章で、神様が人々に 向けて、「その日には、お前はもはや/わたしに背いて行った、いかなる悪事 のゆえにも/辱められることはない。」と言われ、「あなたの神、主はあなたの うちにいまし、・・・あなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新 にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」と言われています。 神様は神の民が救われることを喜ばれると言うのです。

  今日の聖書の言葉は、使徒パウロが書いた手紙の一節です。「16 いつも喜ん でいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 どんなことにも感謝しなさい。」と勧め ています。パウロは、自分を含めて、テサロニケの兄弟姉妹も、イエス様の救 いに与るものであることを喜んで書いているのでしょう。この手紙を読む兄弟 姉妹たちも、パウロの喜ぶ気持ちをしっかり感じ取り、救いの掛け替えのなさ を再確認したことでしょう。

  23節からは、神様が終末の救いの日に必ず救ってくださると確信している ようにと、神様の真実な方であることを思い出すように促しています。ここで、 私たちに救いをもたらしてくださる神様のことを「平和の神」と呼んでいます。 そして、「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イ エス・キリストによって神との間に平和を得ており・・・」(ローマ5章)と あります。

 ヨハネの手紙Ⅰの4章には、「こうして、愛がわたしたちの内に全うされて いるので、裁きの日に確信を持つことができます。・・・愛には恐れがない。 完全な愛は恐れを締め出します。」とあります。もし、神様が私たちの救いを 願うことがなく、救いを喜ばないのなら、私たちは罪多く、神様の前に出てど 2 の人も皆聖なる神様に裁かれるべき者です。しかし、神様の愛があるので、恐 れることはないのです。神の救いを喜ぶのです。

  神様は私たちを喜ばれ、私たちと平和な関わりを持ちたいと願われ、尊い独 り子を私たちに与えてくださいました。御子イエス様は、ベツレヘムの馬小屋 にお生まれになり、飼葉桶に寝かされました。このことは、イエス様は神様の ために、また世の人々のために、へりくだる方であることを示しています。

  神様は十字架にかかったイエス様、死んだイエス様をよみがえらせました。 死から命へとよみがえり、このことが私たちの救いをもたらすことになりまし た。言ってみれば、良くない状態、マイナスを引き受け、マイナスはプラスに 変えられたのです。どんなときもマイナスはプラスになる。これが神様の救い、 馬小屋でお生まれになったイエス様が私たちにもたらしてくださった救いです。 だから、私たちは喜ぶのです。どんなときも、「いつも喜ぶ」のです。

  そして、真の神が真の人となって現れた。神の御子イエス様が一人の人間と して神様がお生まれになった。使徒信条で言うように、ローマの総督ピラトの 時代に、歴史の事実として起こった出来事であると。だから、疑いようのない 事実であり、イエス様のもたらす救いは確かなことです。だから、いつも喜ぶ ことができます。何があっても変わることがない。すべて移り変わるこの世界 の中で、何よりも頼りにできることです。私たちの救いは、何がっても変わら ない救いである。だから、私たちはいつも喜んでいるのです。

  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな時も感謝しなさい。」 神様の独り子が、貧しい馬小屋にお生まれになった。飼葉桶に寝かされて、誰 よりもへりくだる方であった。このことが、私たちがいつも喜んでいるように してくれるのです。神様との関わりが平和であれば、神の愛を信じているので あれば、絶えず祈ります。そして、感謝の思いを抱いていくのです。

  すべての人が救われること、これが神様の喜ぶことです。神様の喜ぶことが、 すべての人の喜びです。



   
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