日本キリスト教団

2022.10.02 
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「しっかり受け取る」
マルコ福音書14章22-26節
   今日与えられた聖書の言葉は、最後の晩餐の時に、イエス様が弟子たちとパ ンを裂きぶどう酒の杯を分け合ったという場面です。けれど、残念なことに、 今日の箇所の最後の晩餐の時にイエス様が差し出したパンと杯を、弟子たちは イエス様の思いを理解して受け取ったのかどうか、それはとても疑わしいので す。これからイエス様が十字架にかけられることを知っていなければ、理解で きなかったのです。そして、イエス様が十字架にかかりよみがえられてから、 イエス様の本当の思いを理解することになりました。

  イエス様の本当の思いは、十字架とよみがえりを全ての人が救いを見出し信 じるようになることです。そして、十字架とよみがえりが私たちに良いものを もたらしているということを、イエス様はパンと杯を差し出されて目に見える ようにして示して下さったのです。聖餐式のパンと杯を受け取るたびに、私た ちは、イエス様から十字架とよみがえりのもたらす良いものを受け取っている のです。

  今使っている式文の一つ前の式文には、今の式文よりももっとはっきりと聖 餐式に罪を悔い改めましょうという勧めがなされていました。ある教会で、古 い式文をから新しい今の式文に変えた時に、ある信徒の方から、昔の式文のよ うに、悔い改めを進めるようにしてほしいと言われました。この方は、聖餐式 を守るたびに悔い改めておられたのです。聖餐式を悔い改めの心で与る。これ こそ、宗教改革者が聖餐式の意味として説いたことです。洗礼式は一生に一度 の悔い改めの機会です。そして、毎月聖餐式を受けるごとに悔い改める機会と する、主イエスと共に生きる心を与えられる、このことをルターもカルバンも 聖餐式の意味としています。主の十字架を思い起こしつつ、これからは救いの 恵みを与えられている者としてちゃんとしっかりやります、しっかりやること ができるように助けてください、導いてくださいと祈りつつパンと杯に与る。 こうすれば、パンと杯をしっかりと受け取ることができると思います。

  新しい式文を使うようになって、悔い改めということがあまり強調されなく なったと思います。けれど、新しい式文は、聖霊の導きを祈ることが新しく加 えられているのです。聖餐式を行っているところに聖霊が働いて、パンと杯を 聖別し、私たちの心を主イエスの十字架とよみがえりに導いてくれるように祈 ることが新たに加わっています。弟子たちにパンと杯を差し出されたイエス様 は、十字架にかかった方であり、よみがえった方であることを想い起しながら、 聖餐式に与りたいと思っています。イエス様が十字架にかかったのはどうして なのか、誰の為なのか、このことを心に留めながら与りたいと思います。

 今日の聖書の言葉に目を向けましょう。イエス様は弟子たちにパンを裂いて 差し出され、弟子たちに与えました。杯はというと、今日の箇所には「杯を渡 された」とありますが、元の言葉は「与えた」(ディドーミ)という同じ言葉 が使われています。イエス様はパンも杯も、どちらも与えたと書かれています。

  ヨハネ福音書3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を 愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためであ る。」神様はこの世に独り子を十字架の犠牲として与えられました。与えると いうこと、手放して与え尽くすことが愛するということです。聖餐式は、神様 が、イエス様を私たちに与えてくださったことを表わしています。与える方の 思いを、しっかりと受け取りたいと思います。

  弟子たちはこの後、イエス様を見捨てて裏切ってしまうのですが、イエス様 は弟子たちが悔い改め、救いに気が付き、イエス様のために生きるようになる ことを信じておられました。ヨハネ福音書では、イエス様はご自分を裏切るこ とになる弟子たちの足をも洗ってくださいました。どんな不信仰な人にも信仰 を与える、これが神様のなさること、聖霊の働きです。イエス様の十字架を思 い悔い改め、そして赦されて、イエス様と共に生きる心を、み栄を現すために イエス様のために捧げる心を豊かに与えられたいと思います。

  聖餐に与ることに、私たちの罪の赦しがあり、救いがあります。新たにされ て歩んでいく道が開かれています。神様の愛をしっかりと受け取りましょう。



   
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