日本キリスト教団

2022.06.12 説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「神様の子ども」
ローマの信徒への手紙8章14-17節
三位一体主日 こどもの日・花の日
  今日の聖書の言葉は、イエス様のお働きによって、私たちが神様の近くにあ ること、神様と私たちの間の距離はとても近く親しい関わりがあることを告げ ています。このことを、パウロは、私たちが「神の子」であるという言い方で 記しています。

  「子ども」であるということは、親の保護を受け、親密な関わりの中にある こと、とても近い存在であることです。「アッバ」という言葉、赤ん坊が母に 父に信頼して呼びかける言葉。この言葉を、私たちは天の神様に向けて呼び掛 けることができます。神様とは、全知全能の方。聖なる方。この世界を支配し ている方。この方に、「アッバ」と呼び掛ける。世界を支配する力で、私たち を愛してくださる方に、とても親密な言葉で、親に甘えるような気持ちで、 「アッバ」と呼び掛けることができるのです。

  イエス様が現れるまで、ユダヤ教では、神様はとても遠い存在でした。律法 を守って、しっかりしていないと神様は認めてくれない。社会の底辺の人々が 生きるために汚れた職業を選べば、世の人々に罪人だと白い目で見られる。こ の人々は神様から遠く、救いから遠くあり、この人々にとって神様は遠い存在 でした。けれど、イエス様は、このような人々の友になった。イエスは十字架 にかかり、遠くにいた神様を、とても近くにいる神様に変えてくださった。私 たちを神様から遠ざけているもの、罪穢れをその十字架で取り去り、何の妨げ もなく神様が近づいてくださるようにしてくださった。

  パウロは、今日の箇所の前半で、神様との親しい関わりを強調しています。 ここで使われている「子供」という単語は、精神的なつながりを強調する「フ ィオス」という言葉が使われています。後半16節からは、「子供」という単 語は別の単語「テクノン」になり、血筋や立場を強調し、誰の子どもであるか を特に意識する言葉です。だから、相続ということにつながるのです。つまり、 今、神様に愛され、将来にも神様に愛されている。今もこれからも、神様の庇 護を受け、親しい交わりがある。限りなく豊かな恵みを救いを、神様のみもと に約束されているのです。 今日は、教会暦で三位一体主日。神様とイエス様、そして聖霊が私たちを救 いへと導くことを覚えます。キリスト教は、「聖霊」ということを言います。 これは、私たちと神様が近いこと、親密なことを言っています。言い換えれば、 神様と私たちの間を目に見えない聖霊が取り持っている、つなげているのです。 私たちが神の子どもであるということは、聖霊によって神様とつながっている、 このことを言うのです。

 福音書では、イエス様は子どもたちを祝福されました。そして、弟子たちが、 誰が天の国で一番偉いかと問うと、イエス様は「心を入れ替えて子どものよう にならなければ、決して天の国に入ることはできない。」答えられました。子 どものようになるとは、子どもは大人や周囲の愛情や世話があることで生きて いくことができるように、そのことを疑うことがないように、そのように心の 底から神様を信頼するようにと言っておられるのです。

  できれば子どものような純真な心を持ちたいと思いますが、しかし、大人に なった今もう無理でしょう。私は気が付けば疑いや憎しみを抱いていますから、 罪人です。イエス様の十字架がなければ神様は遠くにいる厳しい方です。イエ ス様の十字架を信じて、赦してくださいと祈り、神様が近づいてくださって赦 されたと思う。それで、私は神様を信頼するように悔い改め、神様の子どもで あることができて良かったと思うのです。この繰り返しです。ルカ福音書には 放蕩息子のたとえ話がありますが、いつまでも息子の帰りを待つ父親、それが 私たちの神様だということを心から感謝しています。


   
 愛隣こども園
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