日本キリスト教団

2022.05.29 説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「天地を一つに」
ヨハネによる福音書17章6-11節
  ヨハネ福音書では、神に愛されていることが繰り返し語られ、信じる人の群 れ(交わり)の大切さが説かれています。神の愛を喜び、互いに愛し合う人々 の群れ、神の救いに与る者たちが作る群れ(教会という交わり)は、信仰者を 育て導くところです。交わりを作ることは、交わりに属する一人ひとりにとっ てかけがえのないことなのです。ヨハネ福音書で「互いに愛し合う」ことは、 交わりの中で愛し合うことだとも言われています。

 イエス様は、十字架にかけられる直前に、信じる人々の群れ(教会という交 わり)が一つであるようにと祈られました。互いに愛し合い、尊び合って、心 を合わせて一つであるように祈られます。それは、「神とイエスとの交わり」、 父なる神とイエス様が一つであるということに倣うことです。神もイエスも、 神の愛を現すという一点で同じ思いになり、一つになっている。そのように、 この世にある教会も、そのメンバーが互いを尊び合い愛し合い、神様のみ栄を 現しつつ、一つになっているよう祈られます。

 さらには、「神とイエスとの交わり」と「教会という交わり」とが、別々の ものではなく、それらも一つになるように祈られます。神とイエスの交わりの 中に、この世の教会が包み込まれるのです。 神、イエス、教会、この3つが同じ交わりの中にあり、一つです。互いに尊 び合い愛し合うことによって一つです。その交わりが、神の大きな御手のうち に包まれ守られ、神の恵みと命と祝福の中にあるようにとイエスは祈ります。 神と、イエスと、この世の教会、これが一つ、天地が一つであることを祈るの です。

  このために、イエスは十字架にかかり、世の人々の罪を赦し贖い、救われる 人の群れ、教会を生み出されたのです。罪人が神様にあがなわれ、神様のもの とされ、神様の大きな御手の内に守られ救われるように、そのためにイエス様 2 は十字架にかかってくださいました。イエスを信じる人は教会の交わりに招か れます。そしてさらに、神とイエスの交わりの中にも招かれます。イエスを信 じて神様の大きな交わりの中に加えられて、神の大きな救いの御手のうちに守 られるのです。

  ヘブライ人への手紙の中では、イエス様は大祭司と呼ばれています。神と人 との間にあってとりなすのが祭司、そして、神の御子イエス様は大祭司。大祭 司であるイエス様が、神とこの世が神の愛のうちに一つであるようにと祈られ ます。神の愛によって、救いによって天地をつなぐ祈りです。この17章の祈 りは、「大祭司の祈り」と呼ばれています。

  今年のカレンダーでは、5月26日にイエス様は天に昇られました。イエス 様が神のみもとにおられる、天におられる、このことが神(天)とこの世(地) が結ばれ一つであることの拠り所です。

  しかし、現実を見れば、この世の教会は、いろんな理由で仲たがい、分裂し てきました。これは、神様のせいではなく、私たち人間の側の問題です。イエ スの祈り、一つであることを願う祈りを、私たちはどれほど自分のこととして 覚えていただろうか。イエスの十字架の死を、どれほど身に迫ることと思って いただろうか。この世にあって、この世の思いで神様の思いをかき消してはい なかったか。

  フランスの田舎の教会の前をある人が通りかかりました。丁度、礼拝が終わ り会衆が牧師と玄関で挨拶して帰宅しているところでした。その人はからかい 半分に、「牧師さん、今日の礼拝に集まった人は少なかったようですね。」とい うと、牧師はこういったそうです。「なに、天国にはこれの何倍もの会衆がい るよ。」昔から教会の礼拝は、地上の会衆ばかりでなく、天にいる会衆(兄弟 姉妹)も共に礼拝しているということを信じているのです。天地はつながり、 あめつちこぞりて、天つみ民も地にある民も共に礼拝をしています。神のみも とにある大勢の兄弟姉妹と共に、天上の賛美を響かせながら、私たちは地上の 一角での礼拝を献げているのです。

   
 愛隣こども園
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