日本キリスト教団

2022.05.22 説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「何も尋ねない」
ヨハネによる福音書16章16-24節
  今日の聖書の言葉は、イエス様と、イエス様が話していることが何を言って いるのか全く分からない状態の弟子たちとが語り合っている場面です。弟子た ちは、ちんぷんかんぷん。イエス様が話している言葉を理解するとっかかりす らなく、ぼやーとしているのです。

  そのような弟子たちに対して、イエス様は「その日には、あなたがたはもは や、わたしに何も尋ねない。」つまり、すべてが分かるようになる時が来ると 言われています。それは、イエスが復活して弟子たちの前にその姿を見せた時 です。イエス様の十字架は、私たちのための救いの業であること、私たちが神 様に愛されるようにしてくれたこと。それで、イエス様は救い主であること。 これらのことを分かるようになったのです。そして、すべてが分かった弟子た ちは「喜ぶ」と言われています。分かったこと(内容)が、とても嬉しいこと だからです。一人の人間が生まれたように、とても深く喜ぶというのです。

  13節には、イエス様は「真理の霊が来ると、真理をことごとく悟らせる」、 神の霊が、真理(イエスが救い主だということ)を悟らせるように働くと言っ ています。弟子たちは復活したイエスに会い、そして弟子たちに聖霊が働いた のです。私たちにも聖霊は働いているのです。

  23節「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与 えになる。」どういうことでしょうか。弟子たちが、私たちが、神様のみ心を すっかりわかるようになるなら、自分勝手なことを求めなくなります。神様の み心をわきまえ、神様の御心にかなったことを求めるようになるのです。だか ら、神様は求める物を何でも与えてくださるのです。

  私たちは自分中心な心を改めながら、少しずつ分かっていくということです から、すぐには何でもとまだ達しないということだと思います。しかし、イエ ス様のことを救い主だとわかる、このことは誰にでも掛け替えのないことをも たらします。

  イエス様のもたらす救いというのは、自分の身に何があっても神様が助けて くださるということです。私たちがどんな人でも、間違いをする人でも、失敗 する人でも、神様が愛してくれる、神様が決してなくなることのない平和へと 導いてくださるのです。たとえ死んでしまっても、神様のみもとで生きていく のです。いつもどんな時も、どんな私でも、神様イエス様が一緒にいてくださ る、守ってくださるのです。

 イエス様が救い主だとわかる、それはとても嬉しいこと、喜ぶ心を与えられ るのです。皆さん、喜んでいますか?喜んで生きていきましょう。

  「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16)とパウロは言います。 イエス様も、「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわ ずかでも延ばすことができようか。・・・明日のことまで思い悩むな。明日の ことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マ タイ6:25~34)と言って、私たちを励ましてくださっています。日毎の 生活は苦しいこともありますから、いつも笑ってはいられませんが、心の奥深 くで喜びを忘れないでいたいものです。イエス様の愛、神様の愛が、私たちに 心の底からの、決してなくなることのない大きな喜びを与えます。

  讃美歌533番「どんなときでも」。作詞者は高橋順子さん、福島市にある 福島新町教会の教会学校の子どもでした。7歳で難病、骨肉腫で召されました。 苦しみに負けず、幸せを望み、決してくじけてはならないと歌います。これは、 病院のベッドの上で書いた言葉です。イエス様を身近に感じ、イエス様に愛さ れていることを喜んでいる人の言葉です。私たちの心を、イエス様に向けさせ てくれる歌です。救いのもたらす喜びを教えてくれる歌です。

   
 愛隣こども園
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