日本キリスト教団

2022.01.23 説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「エノクはいなくなった」
創世記5章15-24節
コリントの信徒への手紙Ⅱ4章16-18節
 今日の箇所は、5章の初めから始まるアダムの系図の一部分。初めから読む と、一人ひとりの名前と子どもを産んだ年齢、そして死んだ年齢が繰り返し記 されている。「〇〇〇は〇〇〇歳になったとき、〇〇〇をもうけた。〇〇〇は 〇〇〇年生き、そして死んだ。」と繰り返される。

 まずもって、寿命がとても長い。どの人も900歳を越えている。神様の創 造の業により最初の人アダムとエバが造られ、それ以降、創造の業に近いほど 寿命が長い、つまり、生命力に溢れているということだろうか。

  しかし、どの人も皆、「〇〇〇は〇〇〇年生き、そして死んだ。」と繰り返さ れる。つまり、どんなに長く生きたとしても、死を迎えるのだ。世の無常を感 じる。寿命が計り知れないほど長い人たちだからこそ、命の終わりを迎えざる を得ないことが強調される。命に終わりがあることは、人間には避けることの できない宿命だという思いにも導かれる。

  そんな世のはかなさを感じる中に、一人だけ「死んだ」と言われない人がい る。「エノクは神と共に歩み、神が取り去られたのでいなくなった。」(24節) とある。すべての人が命の終わりを迎えるのに、エノクだけは死を迎えない。 神が天へと取り去ったのだ。今日の私達の世でも、死は誰にも避けられない。 しかし、神は一人ひとりのことを顧みてくださり、エノクのように「神と共に 歩」む人、神の前に正しい人のことを見ていてくださり、みもとに招いてくだ さるということを知らされる。

  『創世記』という書物は、ユダヤの民がバビロンに捕囚の民となって連れ去 られて、バビロンの宗教や文化を目の当たりにする中に、自分達の信仰を表明 するために書かれたと言われている。だから、創世記の多くの記述は、バビロ ンの神話が題材になっている。1章の天地創造、人の創造は、王様は「神のか たち」であるとするバビロニアの神話を参考にし、6章のノアの洪水の物語は ギルガメシュ神話を元にしている。換骨奪胎(形は同じでも、中身は自分達の 2 独特の内容とすること)、バビロンの神話を元にして、自分達の信仰を表明し ているのだ。

  この5章の元になったのは、バビロンの最初の10代の王様の系図。何万年 もの長い寿命の王様たちの系図があり、その7代目は神様の世界に招かれたと いうのだ。創世記では何万年も生きはしないが、それでも寿命は長い。そして、 アダムから7代目がエノク。エノクは「神と共に歩み」、誰よりも神と親密で あり、いわゆる悟りを得たような人物とされている。後代には、誰も知らない 神の秘儀を知った人とされている。つまり、神様は多くの人が死を迎える中に も、信仰者エノクを顧みていてくださり、エノクの信仰を大きく評価してくだ さり、神のみもとへと取り去られたのだ。

  一人ひとりにとって、もちろんすぐに我がこととは思えないが、しかし、神 様が人間を一切罪ありとして突き放していないこと、神を信じる人を顧みてく ださることを知らされる。だから、そのことに、私達は希望を見出しても良い のではないだろうか。

  アダムに始まる堕罪は、この世界を罪の世界としてしまった。人は罪の故に 命の木を遠ざけられ、死を迎えるものとなった。罪の故に死があり、死に定め られた世界にも、しかし、死を迎えなかった人がいる。神は一人ひとりの存在 を顧み、その信仰をなおざりにされないのだ。人を死へと押しやる罪の力に抗 して、罪を越え死を越えさせてくださる。

  すべての人が死を迎えることは避けられないとしても、神を信じることに大 きな意義を見出し、神と共に歩むことに希望や幸いを見出すことができる。 エノクは神話の中の人物だが、今も、神のみもとに生きている。このことは私 達に、大事なことを語りかけている。

  「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は 衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきま す。」(Ⅱコリント4:16)。エノクが示してくれた、神と共に歩むことの幸 いと共に、このパウロの言葉に希望がある

   
 愛隣こども園
宮城県仙台市青葉区五橋1-6-15
〒980-0022 ℡:022-222-3242