日本キリスト教団

2022.01.09 説教ダイジェスト
礼拝説教要約「正しい人の苦しみ」
創世記4章1-16節
ヘブライ人への手紙11章4節
 まず、兄カインに注目します。「カインは激しく怒って顔を伏せた。」(5節) 弟アベルの献げ物は神に顧みられたが、カインの献げ物は顧みられなかった。 神はカインに、あなたが正しいのなら、やましいことはないのなら顔を上げな さいと促された。しかし、カインは顔を上げなかった。そして、弟アベルを殺 してしまった。

 では、カインが「顔を上げる」とはどうすることなのだろうか。それは、天 に向かって顔を上げ、「どうして自分の献げ物を顧みないのですか」と神に問 いかけるということだ。カインの失敗は、兄弟を殺したこと、それは神に問う ことをしないので引き起こされた。

  私達は、理由のわからないことで苦しめられる。そして、そのことを神に 「なぜ」と問うことは許されている。「問う」のであって、神を疑うのではな い。「なぜ私はないがしろにされるのか」、「その理由を知りたい」と神に訴え るのだ。6-7節で神はカインに声をかけているが、それは、カインが神に問 いかけるのを促し待っているのだ。

  私達の苦しむ理由は、いつもすぐに理由はわからないものだ。しかし、ずっ と長い間待っていると、様々な出来事の中に何かしら神の御心を感じることは ないだろうか。この箇所は、カインは問うことがなかったから罪を犯したが、 神の民はそうではない、神に問う者たちなのだということを表明している。 「イスラエル」という名前は、「神を相手にする」という意味だ。神に問い続 ける民なのだ。カインは顔を地に伏せた。怒りがこみ上げて、怒ること以外何 もできなくなった。神の語りかけも意味をなさず、独りになっていた。罪を 「支配する」ことは不可能だった。

 弟アベルに注目します。アベルは兄カインに殺された。アベルはカインによ って苦しめられた。「お前の弟の地が土の中から私に向かって叫んでいる。」 (10節)と神は言われる。アベルは、神に向かって叫び問いかけている。こ こでアベルとは、神の民のことだ。アベルの献げ物は神に顧みられた。アベルは、正しい者だ。しかし、殺されてしまった。正しい人が報われるべきだとい うことからすれば、不条理であり理不尽である。しかし、神の民は苦しめられ た。そして、その時、神の民は神に向かって叫び問いかけるのだ。

 昔、ケニ族と呼ばれる人々が、神の民イスラエルを苦しめた。この人々は、 アラビア半島の遊牧民で、ラクダにまたがり突如現れては、イスラエルの人々 の土地を駆け巡り全てを破壊し尽くした。イスラエルには太刀打できない凶暴 な民だった。ケニ族はミディアン族の支流の一つで、遠く神の民とは血のつな がりがあるといわれているが、どうしてあんなに凶暴な民がいるのか、どうし て苦しめられるのかと、神の民の怒りと嘆きは計り知れなかった。

  「ケニ」という名は、「カイン」を連想させる。正しい人、神の民イスラエ ルは苦しむたびに、カイン(ケニ族)が正しいアベル(神の民)を殺したこと を思い起こした。そして、いつまでも正しい人アベルは土の中から叫び続けて いるというのだ。「どうして正しい私が苦しめられるのか」と。正しい者の苦 しめられることの不条理と、答えのわからないことの答えがほしいと、いつま でも神に問い続け、叫び続けているのだ。

  旧約聖書では「血」は命の宿るもの、何よりも聖なるものだ。血が流された なら土で覆われるべきなのだが、誰もアベルの血を覆う者はない。アベルの血 は、天に届くほどの嘆きで神に訴えている。

  6節にあるように、神は、私たち人間に、苦しみの中にあっても神に問いか けるチャンスを与えてくださっている。私達は神を信じたいし、大いに期待す るので神に問うのだ。神なら答えを知っていると信じているからだ。そして、 神はアベルの叫び声を聞いてくださっている。神は、エジプトで苦しむ民の叫 びを聞いてくださった。

  神の子イエスは十字架にかかり叫ばれた。「わが神、わが神、なぜわたしを お見捨てになったのですか」(マタイ福音書27:46)。私達はイエスと共に 叫ぼう。問いかけよう。イエスが私のことを認めてくださっていることを信じ、 心をしっかりさせていよう。イエスの愛を信じ、元気を出そう。イエスは必ず 報いてくださることを信じ、再び主イエスが来られる救いの時を待ち続けよう。

   
 愛隣こども園
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