日本キリスト教団

2021.08.01 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「パウロとバルナバ」
使徒言行録9章26-31節
 使徒言行録は、13章から使徒パウロが、教会の初めの時期に広く世界に向けて伝道した ことを記している。このパウロ(ギリシャ名)が、まだサウロ(ヘブル名)と呼ばれている 頃、筋金入りのユダヤ教徒、クリスチャンを迫害する人だったのだが、キリストを信じるよ うになる大回心をしたことが9章に記されている。

そして、今日の聖書箇所、9 章 26 節以下では、パウロがエルサレムの教会の人々の仲間 になろうとして近づくが、迫害者だった過去を知る人たちに警戒され疑われたという。そこ で、エルサレム教会のメンバーだったバルナバが、パウロの回心を説明し、仲間に加えても らえるようにとりなした。このバルナバのことは、4章36節に紹介されている。

パウロとバルナバの関わりを見てみよう。11章19節には、アンティオケア教会が異邦 人信徒の拠点となっていくので、バルナバが指導者となるが、バルナバはパウロこそ適任と 思いパウロの故郷へ捜しに出かける。ここから、この二人の共同の宣教活動が始まる。パウ ロはキリスト教になくてはならない人になるが、その前にバルナバの好意があってパウロ の働きがあると言える。また、パウロを異邦人伝道の使徒とする道を開いたのも、バルナバ の功績だと思う(15章)。ところが、第 2 回伝道旅行へ出発しようとする時、パウロとバ ルナバは仲違いする。若者マルコを伴うべきか否かで意見が食い違った。パウロは一人別行 動となるが、バルナバはマルコを連れて行動した。

この二人の性格(態度)は対照的だ。パウロは、譲れないことは譲らない人、論敵を喝破 する迫力を持ち、真理追究の人だ。方や、バルナバは、人との関わりを大切にする人だ。若 いマルコの将来を信じ、温かく包む人だ。バルナバという名前は、「慰めの子」という意味 だ(4:36)。人と人とをとりなしつなぎ、厳しい思いが渦巻く所に慰め(平和)をもたらす 人だ。

この対照的な二人を前にして思う。正義と愛、正しさと慈しみは両立し得るのかどうか。 平和を理想として追求する人たちが、正義を振りかざして分裂し争うことがある。一人一人 の存在をおざなりにして、切り捨てることがある。つまり、平和的な方法で求めなければ、 本物の平和はもたらされない。「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに まかれるのです。」(ヤコブ 3:18)。理想は良くても、方法を間違えないようにしたい。

世の多くの人が、戦争を悔い、平和を求めている。この世界が本来あるべき姿を、共に求 めていきたい。そして、キリストを信じる私たちは、十字架にへりくだられたキリストに倣 2 い、慰めをもたらすバルナバの姿に学び、この社会の小さな存在に目を注ぎ、神の慈しみと 恵みを共に分かち合うようにしたい。戦争は常に小さな人々を苦しめる。一人一人への神の 愛を信じ合い、小さな一人一人の平和のために平和を求めていきたい。

パウロは、キリストを信じるとはどういうことか、福音の倫理を追究し、あるべき正しさ を語る人。バルナバは、慰めの子、人と人とをつなぎ、人々の関わりの中に平和をもたらす 人。この二人の組み合わせに、神の御心が垣間見えるように思う。私たちも慰めや平和をも たらすような存在になるように、神様が招いておられる


   
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