日本キリスト教団

2020.10.04 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「分かち合う」
コリントの信徒への手紙 Ⅰ 10章
14-17節

  聖餐式にあずかり、私たちはキリストの救いに招かれていること、恵みを戴いていること を感謝し、神のもとに生きる希望、永遠の命に生かされる約束を心のうちに新たにします。 聖餐は、信仰者一人一人にとってとても大切な儀式ですし、併せて、世界中の教会が聖餐式 を守っていること、キリストのからだと血を分かち合っていることを覚えたいと思います。

 今日取り上げた10章は、パウロが偶像礼拝を避けるようにと勧めています。偶像とは、 他の宗教の神様のことです。他宗教のお祭りに参加する人がおり、お祭りの宴会に参加して もよいのか、問い合わせてきたのです。パウロは、偶像礼拝を避けなさいと答えています。 パウロには、他の宗教とか、他の神様とかは存在しませんから、気にならないのですが、パ ウロは気になる人の目線に立ってアドバイスをしています。

 偶像礼拝を避ける理由は、16・17節「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリス トの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかること ではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分 けて食べるからです。」私たちは、聖餐式にあずかっているのだ、ということが偶像礼拝を 避ける理由です。さらに21節「主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食 卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。」真の神様と偶像、偽物の神様とに同時に 仕えることはできない。一神教ですから、あれかこれかです。

 言い換えれば、パウロは、クリスチャンとはどういう人たちなのかということを言ってい ます。それは、主の聖餐にあずかる人です。主の聖餐に招かれ、聖餐にあずかる人、これが クリスチャンです。キリストのからだと血とにあずかる人、分かち合う人です。

 牧師は、パンと杯を配る前に、聖書を読んだり祈ったり、いろんなことを唱えたり。皆さ んの前で、一生懸命に何かやっています。何をしているのでしょう。今から配るパンと杯は、 キリストがわたしたちに差し出してくださったものですよ、キリストのからだと血ですよと、 宣言しているのです。皆さんの信仰に訴えているのです。私たちには、単なるパンと杯であ っても、それは信仰によってキリストのからだです。

 イエス・キリストは、十字架にかかってくださいました。全ての人の救いを願っておられ ます。十字架にかかり、そしてよみがえられたキリストのおからだを、私たちは受け取りま す。キリストはお一人、体は一つ。キリストはすべての人に体を差し出しています。だから、 キリストの一つの体を少しずつにして、分け合うことになります。聖餐のパンと杯を分かち 合うことで、私たちは、キリストの願いをかなえようとしているのです。全ての人にパンと 杯が届けられるように。分かち合うのです。自分一人の救いならば、分かち合うことはあり ません。一人でも多くの人と共に救いにあずかるために、分かち合っています。これが、キ リストの願いだからです。

 国が違えば、肌の色が違う、話す言葉が違う、生活習慣が違う、社会の成り立ちが違う。 世界の国々、いろんな違いがあります。けれど、キリストはすべての人に救いを届けたいの です。キリストのからだと血を、一人でも多くの人に受け取ってほしいのです。だから、分 かち合うのです。私たちの見える範囲は狭くて、せいぜい一つの礼拝堂の中だけですが、そ れを世界中の教会で行っていると想像してみてください。一つのパンを分かち合うことで、 それで一つのキリストのもとに、一つの交わりになっているということを表しています。
 
 教区総会の開会礼拝で、聖餐式をすることがあります。一つの教区、200人くらいの人 が各教会・伝道所から集まっています。一斉にパンと杯をいただく。ここにいる人たち、私 たちはキリストのもとにひとつなのだという実感を持ったことがあります。参加している人 同士のお互いの信頼感というよりも、キリストがこの場所に覆いかぶさっているという感じ でしょうか。

 一つのパンを分かち合っていることを視覚に訴えようと思って、一つの丸いフランスパン を分かち合ったことがあります。大阪の教会にいた頃、神学部の新約学者の小林信雄先生が その教会の名誉牧師でおられて、その先生の発案で、毎月の聖餐式は丸い大きなフランスパ ンを、司式者の私が真っ二つに裂いて分けて、それを70人くらいでみんなで、ちぎって分 け合っていました。小林先生の思惑通り、みんなには、一つを分かち合っていることがよく 分かったと思います。これは、好評でした。

 聖餐は一つのからだ、一つのパンを分け合い、みんなで分かち合うのです。共にいる人た ちへの心遣い、隣人へ心を向けること、まだ見ていない信仰の友を覚え祈ること。分かち合 うことを通して、隣人がいることを意識するのです。これが、キリストの心なのです。キリ ストが多くの人を愛されるので、ご自分の体を差し出してくださり、そして、キリストのか らだを受け取る私たちは、パンだけでなく、キリストの心、すべての人への愛を受け取るの です。そうやって、私たちは一つなのです。

 今日は、世界聖餐日、世界宣教の日。どうして、聖餐と宣教が同じに日なっているのか。 それは、聖餐にあずかる私たちは、キリストのもとに一つ、お互いに愛を向け合う交わりの 中にいるからです。

 キリストがわたしたちにご自分の体を差し出してくださる、聖餐に招いてくださる。この ことの掛け替えのないことを思えば思うほどに、私たちはキリストの愛に応えようという思 いを深くしていくのです。全世界にある教会の兄弟姉妹、聖餐を共にする仲間たちに、神様 の豊かな恵みと祝福がありますように祈ります。

 聖餐に招かれていることを喜びとするほどに、一つであることを神様からの賜物、恵みと して受け取り、キリストの後にづづいて多くの人と共に生きる者とされていくでしょう。キ リストのからだは一つだと信じて遠い国で福音宣教の励む方々に、神様の確かな導きがあり ますように祈ります。

 
   
 愛隣こども園
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