礼拝説教要約 「ひとりではない」ヨハネによる福音書16章29-33節 <p style="text-indent: 11.01cm; margin-bottom: 0cm; line-height: 115%"> 2020年51 <

 イエス様は、この32節以下の言葉を満身の思いを傾けながら、弟子たちに言い含めるようにして語りかけられました。イエスの遺言です。

30節で弟子たちはイエスに、「あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」と言っています。それで、イエスは弟子たちの言葉を受けて、「今ようやく信じるようになったのか。」と言われます。イエスのことを、やっと信じられたのですから、これからはしっかり信じていてほしいところですが、そうはいかなかった。イエスが捕らえられると、弟子たちはイエスを捨てて逃げ去ったのでした。32節で、イエスはそのことを言われています。

イエスの弟子たちは、不甲斐なくもイエスを見捨てる、出来損ないです。けれど、イエスはそれでもいいというのです。どうしてか、「わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」というのです。イエスは弟子たちが自分を見捨てること、不出来な弟子たちであることをご存知でした。それでいいと言われ、その弟子たちのために死を引き受けてくださいました。

私たちも一人ひとり人間ですから、完ぺきではないでしょう。長所短所あり、。神に対する気持ちも行動も、神様から見たらどう見えているのでしょうか。けれど、そういう私たちのために、イエスは死を引き受けてくださいました。

イエスの十字架のお陰で、神様と私たちの間に平和が訪れました。イエスの十字架が私たちに救いの道を備えてくださったこと、必ず救いに至ることを信じられるようになって、私たちの心に平和、平安がもたらされました。イエス様は仰っています。33節「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。」と。

 さらに言われます、「あなたがたは世では苦難がある。」弟子たちは、イエスの弟子だと言うので世の人々から白い目でみられる、迫害される。自分自身の不出来のせいで、失敗をしたり、損をしたりもする。必要のない重荷も背負うかもしれない。弟子たちも、私たちも、この世にあるということで、同じように苦難、苦しみや難しい局面がある。けれど、こういう私たちに平和があるのです。神様との間に平和があるのですから、必ず救いがあるのですから、諦めることはない。私たちのこの世の歩みは、神様のもとへ、救いへとつながっているのです。大いに期待して、歩む希望とすべきです。

 イエスは仰います。「しかし、勇気を出しなさい。」イエスの十字架によって示された神の救い、慈しみを信じ、人生投げないで、前向きな思いを持って歩み出しましょう。生きる勇気を与えられましょう。生きる勇気はどこにありますか。「わたしは既に世に勝っている」。世に勝っているというイエスが、生きる勇気をくださいます。

ヨハネ福音書で「世」というのは、神様に反抗する力、悪や罪の力が支配しているところ、人間の自分中心な思いが渦巻いている所のことです。そういうところで、「世」で、私たちは苦しみます。いろいろ難しいことをさせられます。すべて思い通りにいかないで、悔しい思いもするのです。イエスはそういう「世」に勝っていると言われます。イエスは十字架で、この世を支配する世の力、悪の力、罪の力、死の力に打ち勝たれたのです。この十字架によって、私たちの罪は取り去られ、私たちは神との間に平和になり、神に愛され救いの道を行くことができるようになったのです。イエスの十字架、イエスの勝利がある。だから、生きる勇気をいただけるのです。イエスを私の救い主と信じる人に、勇気が与えられます。

 今日の説教題は「ひとりではない」。イエスが弟子たちに捨てられてひとりにされる。しかし、イエスは一人ではない。父が共におられる。「共に」というのは、物理的に一緒にいること。人と人とが心と心でつながること。そして、神の子にとってはそれだけではない。私たちにとってはそれだけではない。

私たちの神様は、生きて働かれる神です。私たちを愛する思いを抱く神です。愛する人々に手を差し伸べる神です。愛する人たちが、今日も大丈夫なのか心配してくださる神です。苦しんでいるなら助けてくれます。泣いているなら慰めてくれます。人生の重荷を一緒に背負ってくれます。私たちを神のみ手の内に守り、神の力を働かせてくださいます。この神が共にいてくださいます。

 イエスはひとりではない、神が共におられる。イエスは勇気を与えられ、十字架に向かったのです。神様はこの私を必ず認めてくださる。十字架の死を無駄にはなさらない。イエスは、神のことを信頼していたのだと思います。

 旧約聖書に、少年ダビデが巨人ゴリアテを倒すという話があります。ダビデは「神様が共にいるんだ」と言っています。ダビデは幼くて、王様の鎧兜は大きすぎました。鎧は身につけず、丸腰で立ち向かったのです。神がついているのだから、恐れることはない。ダビデは、その信仰によって勝利しました。

私たちも、十字架にかかったイエスが共にいてくださる、どんなときもどんな私でも、共にいてくださる。一緒に苦難を背負ってくださる。救いへと導き招いてくださると信じて勇気を出していきましょう。

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⑤2020.5.17説教「ひとりではない」DIGEST
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