2015年12/14聖日礼拝メッセージ要旨

 「主の御降誕と聖霊」   ルカ1章26〜45節     寺田師

ノーベルは強力な破壊力を持つダイナマイトの名を、聖霊の力(ギリシャ語のデュナミス)を語源にしたと言われています。

 主イエスが処女マリヤに宿ったのは、神の力に「おおわれ」、聖霊が「臨」まれたからです。「おおう」とは天地創造の「神の霊が覆う、動くを」
(1の2)と関連し、「臨む」は人の肺の中に入る空気を。また母体の子宮と胎児の神秘的な親密さを考察できます。また霊なる全能の神は、今も
万人を覆い、信じる者の心に臨んでくださいます。

▲              宇宙飛行士チャーリー・デュークの聖霊体験

 アポロ16号で三日間の月面探検を経験して後、その肩書によって「人の望むあらゆる名声と富」を手にした。しかし儲かる程、心は空虚になり、
家庭は崩壊寸前の状態になった。そんな時、妻に誘われ教会に行った。しかしイエスを神の子として受け入れることが出来なかった。イエスとは何者か。
天才的なウソつきなのか。もし本当の神の子であるなら、私は彼に従わなければならない。そんな思いで19784月、ハイウェイを走っている時、突然、
イエスが神の子であり、神であることがわかった。(聖霊によって)。その夜からすべてが変わった。

 それまで何かを「得る」ことが目的だったが「与える」ことが目的となった。家庭内の問題も氷解した。今は精神的に満たされアーウィンのように、
世界中に伝道をしている。私は月を歩いてきた人間として、「月を人間が歩いたことより、イエスがこの地上を歩いた事のほうが、人類にとってはるかに
意味があることだ」ということがよくわかったのです。

▲              聖霊の働きとクリスチャン

* 聖霊によらなければイエスを主と信じる事ができない。(Tコリ123
* 聖霊によって神の愛が私達の心に注ぐ。       (ローマ55
* 聖霊が私達が神の子供であることを証する。     (ローマ816
* 聖霊に導かれる者は神の子供である。        (ローマ814
* 求めなさい、さがしなさい、たたきなさい。・・・あなたがたが悪い者であっても天の父は、求める者にどうして聖霊を下さらないことがありましょうか。
                              (ルカ11913

  ノーベル平和賞は優秀な人に。しかし聖霊は求める全ての人に。



2017年9月3日聖日礼拝   使徒行伝20章7〜12節 

 「どんな時も神により頼む」     田沼牧師
     

本日の聖書箇所には、初代教会も週の初めである日曜日に礼拝を守っていたことが記されています。礼拝の中心はパンを裂くことと説教でした(7節)。

「パンを裂く」とは夕食(愛餐)のことを指し、その中でキリストの十字架を記念して聖餐式も行われていました。これは信仰の交わりをもって共に食事をすることを意味します。

「聖餐」とはパンを裂く儀式のことで、キリストが私たちの罪の身代わりに十字架にかかり、裂かれて死んで下さったことを記念する式です。


パウロは明日の出発を前に、二度と地上では会えないかも知れないという気持ちもあってか、説教が長く続きました。語る側の熱心と、聞いて応答する側の熱心が相乗効果をもたらし、長時間に及びました。

福音の真理はこのような呼吸を通して伝えられていくのです。


しかし、心は燃えていても日中にした仕事の疲労が限界に達した青年ユテコが眠りこけて、3階から転落死したのです。パウロは下に降りてきて祈りつつ彼を抱きかかえ「心配することはない。まだいのちはあります」(10節)と宣言しました。礼拝中の突然の出来事にも関わらず、「心配することはない」と断言したパウロの冷静さと信仰に注目したい。


パウロはこの危機的状況の中で一歩踏み込んで、それを背負いました。それによってやがて周囲に平安や喜びが訪れるのです。彼は「死者をよみがえらせてくださる神により頼」(Uコリント1:9)んで、「望みえない時に望みを頂いて信じ」(ローマ4:18)たのです。


これは肉体的には生きていながら、霊的には(神と断絶して)息絶えている者に、いのちの福音を与えていくパウロの伝道を象徴しています。

そして青年に「まだいのちがある」ことが分かると、いつまでも起きた出来事に心を残さず集会を続けました。何が一番大事であるかをいち早く見て取ったのです。

私たちも日々の生活態度において、神から知恵を頂いて物事の優先順位を素早くつけて、決断を成して行く者とさせて頂きたい。