説教 「 新しい命へ 」    徳田宣義
聖書 コリントの信徒への手紙1第15章55-57
 「『死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
   死よ、お前のとげはどこにあるのか。』
   死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエス・キリストによって
わたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」
コリントの信徒への手紙1第15章55-57節
(共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳』日本聖書協会 1987、1988)


【説教】
 「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」。私たちの感謝は、礼拝堂であっても、自宅の礼拝であっても、神に届くと信じます。そして、私たち以上に確かなお方である神のイースターの祝福は、私たち一人一人に注がれると、心から信じています。ご自宅で礼拝を献げておられる皆さまの上に、日本中、そして世界中の教会とキリスト者1人1人の上に、死に打ち勝つイースターの祝福と恵みが豊かにありますように。

主イエスが復活されたので、「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」。このように私たちも、この手紙を記したパウロと声をあわせることができます。世界中の教会、世界中のキリスト者が、この日、イースターのお祝いをいたします。このような喜びと恵みは、どのように到来したのでしょうか。
私たちは、互いに理解しあい、語り合い、助け合い、一緒に仕事をし、会食し、学び合う。そして、何より神と共に生きていくために、私たちは命を与えられていました。
しかし、私たちは自分で良い関係を偽りのものとしてしまいます。最後に死が私たち同士を、引き離します。私たちが、どう頑張っても、絶対に取り戻すことができなくなる関係は、死によって終わってしまった関係です。なぜ、このような私たち苦しめる死が存在するのでしょうか。

パウロはいうのです。「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。」死のとげが私たちを突き刺すから、私たちは死ぬ。この死のとげは罪だとパウロはいいます。私たち人間の中心が罪に襲われている。罪には、的を外すという意味があります。聖書が語る罪は、神の御心を外す生き方のことであるのです。
自分に罪があると認めたくない方もあることでしょう。しかし、すべての人が死ぬということを、私たちは否定することができません。パウロは、罪の普遍性を、死の普遍性の中に見ているのです。死のとげは、私たちの命全体を襲います。私たちの世界では、奪い合いが起こり、互いに責任を押し付け合い、憎み合い、殺し合い、最後には無関心へと向かう。神を神としないことは、人を人扱いしないこととなると聖書はみています。
私たちの中心が罪に犯されている。死のとげが刺さっている、私たちは、自分の願望の奴隷、罪の家来、死の囚人になっている。このような私たちがつくり出すのが、私たちの日常です。この世界の姿です。私たちの犯す「罪」に恐ろしい死刑の『力』を与えたのは『律法』であるとパウロはいいます。神の御心をあらわす律法によって、罪があばかれる。神の御心通りに生きられない罪。律法は、そのような私たちの姿を、あぶり出します。神の前で、自分で自分を義認する道はあり得ない。
しかし、パウロは言うのです。「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」。
  神は、主イエスの十字架と復活をとおして、罪にまみれ、死のとげによって重傷を負っている私たちを救ってくださる。私たちが、知らされている大切なことは、主イエスが、死人の中からよみがえられ、復活の初穂となられたということです。
神は、ご自分のひとり子を私たちの罪のために十字架におかけになり、葬られ、私たちのために主イエスを復活させられました。ここに私たちの希望があります。死に対して、答えを与えられ、望みをあたえられ、私たちは死ぬことができます。私たちは、洗礼によって主イエスと結び付けられ、よみがえりの命が約束されているからです。このことは、主イエスに贖われた自分の命を大切にすることをも意味します。自分の隣人のために主イエスが死なれたことを知ると、隣人との関係を大切なものにしようとする姿勢が与えられます。神は、私たちが、深く現実を生きていくように願っておられるのです。
 神は、私たちが救われるべき所から救い出してくださいました。私たち一人一人の命も存在も、重く、意味があるのです。意味の与えられた私たちの人生にも、試練はあります。死があります。しかし、主イエスが寄り添ってくださいます。試練の中で、私たちと主イエスとの関係は深まっていきます。そのような日々を、私たちもまたよみがえるという希望が支えています。死に打ち勝たれた主イエスの勝利は、私たちの勝利です。ここにイースターを祝う理由があるのです。

私たちの幸せは、考えてみれば、ほとんどが関係によって成り立っています。愛しあうこと、語り合うこと、理解しあうこと、認め合うこと、助け合うこと・・・・・・。
主イエスの復活の中にあらわれた神の新しい創造の力は、主イエスに救われ、主イエスと結びあわされ新しい神との関係を与えられた私たちを、新しい命に解き放ちます。私たちを古いままにしておかない。神が造ってくださった人間らしい生き方へ生まれ変わらせようとするのです。
主イエスの復活には、波及効果があると、ある神学者は語ります。ひとつは、私たちの命に波及します。もう一つは、私たちの生き方に浸透していきます。私たちの人生を新しくし、神が願われる社会を築いていく支えとなるのです。主イエスの勝利をくださった神に、私たちは感謝する。それがイースターの礼拝です。イースターの祝福と平安が、皆様の上に豊かに注がれますように。                                       (2020年4月12日)