[説教断片]

 説教:だから、耐えられる
    
(2009年6月28日 徳田 宣義牧師)

 聖書:ルカによる福音書21章10〜19

  「忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい」。
 皆さんは、ここを読まれてどのような感想をもたれるでしょうか。
 「忍耐」 というのは、具体的にどういうことだろうかと思われてい
 るかもしれません。 私も、ここを読んで、どういうことだろうか と
 思いました。辞書で調べてみました。そこを見てみますと、「耐え
 忍ぶ」、「ぐらつかないで忍耐して待つこと」 という意味があると
 わかりました。 どういう時になら、私どもは「耐え忍ぶ」こと。「ぐ
 らつかないで忍耐して待つこと」ができるのでしょうか。私は、し
 ばらく考えてこう思いました。忍耐の向こう側に希望がなければ、
 いつまでも耐え抜くこと、待ち続けることなど できないということ
 です。主イエスが言われる「忍耐によって、あなたがたは命を勝
 ち取りなさい」 という言葉にも、そう言い得る理由があるのです。

  「わたしの名のために」 と記されています。主イエスの名のこと
 です。 皆さんも、お気づきになられたことでしょう。これは今日の
 箇所に、2回記されています。12節には、「人々はあなたがたに
 手を下して…わたしの名のために王や総督の前に引っ張ってい
 く」 とあります。政治的な権力者によって厳しい試練を受けるとい
 うのです。17節には 「わたしの名のために、あなたがたはすべて
 の人に憎まれる」 とあります。 すべての人。 いろいろ思い巡らす
 ことができます。家族や仲間や近所の人々なんてことだって考え
 られます。主イエスの名によって、洗礼を受ける。そこで神に相応
 しく生きようとするために、信仰に生きる人々が、かえって試練が
 続く生活に引き入れられるというのです。ルカによる福音書を記し
 た同じ人物が、使徒言行録を記したといわれています。そこには、
 やはり主イエスの弟子たちの試練が描かれています。しかし、そ
 のような試練の中で、弟子たちを神の御心へ突き動かしたものと
 は、一体何であったのでしょうか。

  主イエスは、私どものために、あらゆる人々から、そして弟子た
 ちを含む親しい人たちからも捨てられました。それだけではありま
 せん。私どもが救われるために、この方は神からも捨てられてしま
 いました。 主イエスの名というのは、こういう名です。 ですから、そ
 ういう神から離れてしまった世界の中で主イエスの名によって生き
 る私どもに主イエスは、「わたしの名のために、あなたがたはすべ
 ての人に憎まれる。」 といって、こう言われるのです。「しかし、あな
 たがたの髪の毛一本も決してなくならない」。

  髪の毛一本にまで心配するというのは、並大抵のことではありま
 せん。 しかし、主イエスの名によって生かされている私どもは、髪
 の毛の一本まで守られているというのです。 ですから、勇ましく信
 仰を守ることができる人だけが、主イエスに従い得るなどと、私ど
 もは思わなくてよいのです。あの主イエスの弟子たちが、もう最初
 から、そんなことができる人たちばかりではありませんでした。 私
 どもができるのは、「耐え忍ぶ」、「ぐらつかないで忍耐して待つ」と
 いうことです。神の時が来ることを祈りながら待ち続けるのです。
 そして、私どもが耐え抜き、待ち続けることができるように、主イエ
 スは、今日の箇所でも、「あなたがた」 と言ってくださいます。それ
 は、ここにいる私どものことです。教会のことです。教会の仲間た
 ちと主イエスを囲んで生きるなら、私どもは、耐えられると主イエス
 はおっしゃられるのです。

  私どもの命を殺すことができたとしても、しかし私どもの髪の毛一
 本までも、神から奪うことはできません。皆さんも、主イエスの名に
 よる洗礼をお受けになっておられます。 皆さんは、神さまのもの。
 教会というのも、主イエスの名によって、建てられています。 この
 お方以外に救いはないからです。主イエスの名だけが、私どもを
 守ります。神のもとへ導きます。ですから、私どもは、このお方の
 名のところに喜んで集まります。もう皆さんが、そのようになさって
 おられます。 そして、ここにいる教会の仲間たちは、厳しい中を
 生きてこられた方ばかりです。 主イエスと共に生き抜いてきた自
 分の物語をもっておられます。ここにいる教会の仲間たちが、神
 の導きの証拠です。ですから、皆さんの隣に座っておられる方々
 は、神のものとなっている仲間たちです。そして、今、私は こう申
 し上げなくてはなりません。この導きというのは、まだ洗礼をお受
 けになっていない、しかし今ここに座っておられる方々にも、もち
 ろんあるということです。

  「忍耐」 というギリシャ語には、「耐え忍ぶ」、「ぐらつかないで忍
 耐して待つこと」 という他に 「そこに留まる」という意味も、また含
 んでいます。教会の仲間たちと、礼拝にいる。そうやって主イエス
 のもとに留まり続ける。そのことによって、私どもは永遠の命を勝
 ち取るのです。

  夫婦の問題、家庭の問題、職場の問題、人生の問題。 ここに
 おられる皆さんも、よく知っておられます。簡単に解決することは
 ないのです。ですから、私どもは忍耐強く、神の力を待ち続ける。
 祈り続ける。 そこでこそ、問題の本質を見極める力が与えられま
 す。そして、神の忍耐があるから、私どもも家族や仲間の心が立
 ち上がるのを待つことができます。傍らに寄り添い続けることがで
 きるようになるのです。 ここにおられる皆さんの歩みを、主イエス
 が守ってくださいますように。

                                 完


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