[説教断片]

 説教:神の所に逃れる
    
(2008年11月2日 徳田 宣義牧師)

 聖書:ルカによる福音書13章31〜35

  「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」。この言葉を読んで、私
 は小学生だった頃を思い出しました。私の父は牧師です。母は教
 会に付属している幼稚園の責任を負っています。ですから教会と
 幼稚園、そして牧師館が同じ敷地にありました。この幼稚園には、
 ウサギ、犬、モルモット、鶏(にわとり)、小鳥・・・などがいました。
 長い休みになりますと、幼稚園の先生やお母さん方が、このお世
 話をしにやってきます、私も、時々手伝いをしました。今でもよく覚
 えています。キャベツを微塵切りにして、鶏の餌に混ぜて、鶏小屋
 へ持っていくのです。この時に、まず古い餌を捨てて、小屋をほう
 きで掃いて、それから餌を餌箱に入れるのです。この時、上手に
 できないと、鶏を逃がしてしまうことになってしまいます。そうなる
 と大変です。鶏を追いかけて、園庭を走り回らなくてはなりません。
 隅へ隅へと追い詰めて、素手で捕まえるのです。― 今では、さす
 がに無理だろうと思いますけれども ― そうやって鶏を捕まえて、
 抱きかかえた時の感触は今でも残っています。とっても暖かいの
 です。

  「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」。 神の愛の暖かさ、私は
 今日の箇所を読んで、よく伝わってくる思いがするのです。 主イエ
 スの羽の下に、憩うことができる。今、皆さんはこの礼拝で それを
 しておられます。私どもは、悩みの中で頭を抱えても、孤独の闇で
 立ち竦んでも、病の現実にうなだれても、しかしそのままで、私ども
 は、主イエスの羽の下に休むことができるのです。 しかし、その恵
 みをユダヤの人々は拒否してしまった。 信じない人が多いのだと
 主イエスはおっしゃられます。そして、その代表のようにしてヘロデ
 の名が、登場します。「ヘロデがあなたを殺そうとしています」。 殺
 される危機の中で、しかし、主イエスは、「今日も、明日も、悪霊を
 追い出し、病気をいやし、3日目にすべてを終える」といわれます。
 つまり、神の愛へ人々を解き放ち、ご自分の羽の下に集めて守る。
 凍えた魂を永遠の命へと暖める。そうやって、今日も、明日も羽を
 広げている。 ですから、ヘロデが殺そうとして狙っていようとも、主
 イエスは、「進まねばならない」と言われるのです。

  「進まねばならない」。これは、主イエスがエルサレムで、十字架
 にかかられることを意味しています。私どもの罪は、主イエスが十
 字架にかかることなしには、誰一人、神へ償うことはできないから
 です。神を信じない。神に背く。言ってみたら、一番大事な方を悲
 しませ、背中を向けている。その罪を主イエスは、私どもに代わっ
 て償うために神の前に進まねばならないと言ってくださるのです。
 そして、進まねばならないというのは、もちろん、これは皆さんの
 魂に向かってということでもあります。

  信仰とは、神のもとで憩える。その幸いを知っているということ
 です。私どもは、神の所へ逃げることができます。ここでなら死ん
 でも守られます。ですから、信仰者は、本来、弱くてもしなやかな
 存在なのです。強く硬いのではない。それではやがて折れてしま
 います。私どもはそれとは違う。弱いけれども、しなやかなのです。
 どんなに人が認めてくれなくても、どんなに弱くても、主イエスは、
 情けないといって私どもを弾かれる事はありません。この方が受
 け止めてくださる。だから、私どもは、どんなに外で否定されても、
 試練があっても、耐えることができます。神の愛を受けること、そ
 れが逞しさを造ります。神が絶対に導いてくださる。だから、私ど
 もは家庭でも、人間関係でも、仕事でも、諦めることをしない。克
 服する道、逃れる道を考え抜くことができるようにされるのです。

  今日は、教会の創立記念の礼拝です。神がこの教会を建てて
 下さいました。そのために多くの人が、自分の大切なものを献げ
 ました。 神が、主イエスを私どものためにくださったから、この教
 会の土地と建物を献げてくださった方が与えられました。 神は、
 こういうなさり方で、神の導きがあることを私どもに教えてくださる
 のです。そして、皆さんがお受けになられた洗礼も、神の業です。
 主イエスの羽の下で暖められたから、私どもの教会はあるし、皆
 さんは洗礼をお受けになられました。 今、この主イエスの羽の下
 で、暖められながら、洗礼を受ける準備をしている方々が何人も
 おられます。そうやって主イエスは、今も、そしてこれからも、この
 教会を、皆さんを暖め続けてくださいます。 そして、この暖かさを
 持って、私どもは生きていく。この温もりは、きっと人にも伝わる。
 暖かさと言うのは、感じるものだからです。 そうやって、私どもも
 主イエスの暖かさを、人々に伝える存在にされるなら、 どんなに
 幸せなことでしょう。 これからも、皆さんを、主イエスがその羽で
 大切に暖めてくださいますように。 祈りをいたします。


                                 完


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