[説教断片]

 説教:今こそ、仲直りを
    
(2008年10月5日 徳田 宣義牧師)

 聖書:ルカによる福音書12章54〜59

   天気を気にする。 それは今日が、どういう日になるのか という
 1つの心構えを作るきっかけとなることでしょう。 そして、主イエス
 は、私どもが天気にさえ注意を払うなら、「今の時」 こそ、一層見
 分けることを知るべきと言われるのです。「今の時」 とは、どういう
 時なのでしょうか。それは神と共に生き、そこで神と一緒に刻む時
 ということです。神と自分との関わりにおいて、今何が大切なのか。
 今の自分に、何が問われているのか ということを見分ける という
 ことです。今日、洗礼をお受けになった方のことでいえば、神の関
 わりにおいて、今、一番自分に必要なこと。それが洗礼であったと
 いうことです。 神の導きを考える。判断する。そして応える。 それ
 が、私ども自身と私どもの教会に求められていることです。 です
 から、今日洗礼を受けられた方も、この洗礼を承認した私どもの
 教会も、「今の時」 が、どういう時かを神との関わりにおいて 祈り
 ながら、神の御心があると信じたのです。

  「あなたを訴える人と一緒に役人のところに行く時には、途中で
 その人と仲直りするように努めなさい」。そう主イエスは言われま
 す。私どもが、仲直りすべきなのは誰なのでしょうか。私は随分迷
 って説教題を 「今こそ、仲直りを」 としました。そのこころは、仲直
 りをすべきは、神と私ども一人一人だからです。

  先日、ある求道者会で高校生たちから、学校の授業の中で、デ
 ィベートをしたという話を聞きました。 一つのテーマについて反対
 派と賛成派、そして その議論を判定するという 3つのグループに
 分かれ授業が行われたというのです。学園祭や 代々木のある会
 場で見たというディベートの話も聞きながら、白熱した議論の様子
 に驚いたりしたそうですけれども、その話を聞きながら、私は こう
 質問をしてみました。

   例えば、夫婦でも、友人でも、職場でも、その後の関係 という
 ことを考える時、議論をして打ち負かした相手に、自分の考えに
 ついてきてもらうには、果たして議論で勝つだけでよいのだろうか。
 そして、神に背く私どもを、神はどのようにして、その懐に戻って
 くるように導いてくださるのだろうか。間違っていた私どもが神に
 打ち負かされただけでは、私どもが神の愛を知るのは難しかった
 のではないか。神から離れる。逆らう。侮る。神が願われる道を
 外すという罪を、神はどのように解決されるのだろうか。一緒に考
 えてみようと私は言いました。随分悩みながら、色々と考えたこと
 を語る中で、高校生たちは、こう言ったのです。「ああ、そうだ。神
 さまは、罪を赦してくださった」。

  今日洗礼をお受けになられた方が、そして、私どもが神と仲直り
 できるのは、神が罪を赦してくださるからです。 仲直りというのは、
 人をやっつけて従わせることではありません。 それは悔い改める
 人に、隣にいてもいいと赦すことです。 共に生きることを赦すこと
 です。 ですから、神から赦されるために、一緒に歩んでくださるの
 は、主イエスご自身なのだ ということを聖書は、私どもに語るので
 す。

   主イエスが、私どものために十字架に架かられました。それは、
 私どもが神に赦されるためです。 仲直りをして一緒に生きるため
 です。神の子が人になられて、私ども人間の罪の身代わりになら
 れました。 そして同時に主イエスは神の子ですから、すべての人
 の罪の身代わりになることができました。 これが罪を見過ごしに
 されない神のなされ方でした。ですから、もうすでに主イエスの命
 ほど、皆さんは大切な存在とされていることは明らかです。皆さん
 は、神の恵みの中を生きています。 ですから、神に赦された私ど
 もは、主イエスが大切にされる 自分の隣人の存在 もやっぱり大
 切にするのです。もちろん、主イエスは、私どもの罪を誤魔化され
 ませんでした。それと向きあわれ、戦われました。ですから、私ど
 もも、ただ闇雲に 「いいよ、いいよ」 とやるわけではありません。
 神がそうであるように、どこまでも正しさを求める必要があります。
 しかし、その根底にはやはり神がそうであったように愛がなくては
 ならないでしょう。そこに柔らかく、粘り強く、決して諦めない隣人と
 の関係が生まれてくるのです。

  「今こそ、仲直りを」、この言葉を 隣人との関係が崩れた時に、
 そして何よりも神を忘れ背いた時に、思い出してください。 どうか
 これからも神と仲直りをして生きてください。 神は、あなたと一緒
 に生きていくことを、どこまでも求めておられるからです。
 
                                 完


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