他の人を赦すように祈ります
2008年9月7日
マタイ18:10−20

キリスト信者の人生の生き方とは、祈りの生活です。神様が全能のお方であるので、私達のすべての祈りを聞く事が出来ますが、私達の全ての願いをかなえるでしょうか。例えば、1億円の為に祈れば、下さるでしょうか。しかし、良いお父さんのように、必要な物を必要な時に下さいます。主の祈りで祈るようです。「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。….. 我らの日ごとの糧(かて)を、今日も与えたまえ。」今日の福音書の中で、イエス様が私達の祈りに確信を与えます。マタイ18:19-20、「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

その二人や三人がイエス様の名前によって集まる時、イエス様の働きの為に祈ります。即ち、この地上でのイエス様の御名によって行なわれる働きのためにです。自己中心的なものや他の人に害を与えるものの為に祈っていません。その祈りの源とは、神様を愛する事や隣人を愛する事です。もしこの祈りにイエス様もご自分の名前をサインする事が出来るものでしたら、もしイエス様がご自分のハンコを押してこの祈りの活動に喜んで参加する事でしたら、私達は自信を持って祈ります。

しかし、何の為に祈りましょうか。主の祈りが教えるように祈って、そして、詳しく、自分の心の中で感じて、今必要だと思うものの為に祈ります。今日の福音書では、イエス様は3つの特別な祈りを教えます。子供の為に祈ります。その子供がイエス・キリストを信じる信仰から引き離されないように祈ります。そして、罪を犯した兄弟姉妹が、悔い改めて、赦されて、教会の交わりに戻るように祈ります。

先ず、子供達の為に祈ります。体が小さいでしょうが、信仰が大きいです。イエス様は言われました、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(18:3-4) 子供に対する虐待(ぎゃくたい)と言う二ユースについてよく聞きます。私は牧師として思いますが、子供に対する一番ひどい害を与える事とは、子供がイエス様についての福音が教えられていない時だと思います。教会学校や洗礼の水に連れて来ない時です。本当に子供を愛する事でしたら、その子供に永遠の命を与えられる事を望むでしょう。

そして、子供でしても大人でしでも、教会の群から迷いでた羊が帰るように祈ります。見つけたら、次に、悔い改めと赦しが必要です。悔い改めは「ごめんなさい、帰らせて下さい」と言います。赦しは、「お帰りなさい」と言います。これは、赦しの目的です。それは、ただ罪を見ない事ではなく、罪とその恨(うら)みを廃棄(はいき)して、交わりを持つ事です。赦しとは、和解です、交わりです。たの人と共にいる事です。神様が私達と共にいる時、最高の祝福です。神様がイエス・キリストによって私達と共にいます。即ち、イエス・キリストによって私達を赦して下さいます。イエス様が十字架上で死ぬほど、神様が私達と共にいたいと思います。ですから、赦しは救いです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

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