肉体と成った言

クリスマスの日、2011年

ヨハネ1:1−14

1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。


「言は肉となった。」この表現には、「ことば」と言う言葉はイェス・キリスト、聖なる三位一体の神様の第二位格です。この永遠の神様の第2位格が人間の肉体の形になってこの地上で生まれた時点から、「イェス様」と呼ぶ事が出来ます。その時から、私達の救い主は、キリストの働きを始められました。ヨハネの福音書の中には、地上に生まれる前のイェス様を、以前から存在したキリストが「言」と呼んでいます。そして、このイエス・キリストの中には、神の御子の栄光が見られています。恵みと真理とに満ちていた方でした。

聖書の中では、「言葉」という言葉の意味とは、「約束」と意味する場合が多いです。それで、神様が何かを言われると、それは神様の与えられる約束です。このように「言は肉となった」と言う表現の2つ目の理解でもいいでしょう。旧約聖書の中には、神様は、ご自分の民を救い出す為に、救い主なるメシアを送るように約束しました。イエスキリストによって、その約束が守られました。約束の言葉が、実際に実現して、本物になって、肉となって、生きていたので、満たされました。

言葉には力があります。人間の言葉にも物を創る事が出来ます。例えば、私が話す時、あなたの頭の中に、想像を造る事が出来ます。例えば、若い時のクリスマスを思い出して下さい。もらったプレゼントを覚えていますか。その時とクリスマスのデコレーションやクリスマスのツリーや家族を覚えますか。頭の中には雪があるでしょうか。サンタさんがいますか。クリスマスに教会に行きましたか。キリストの誕生を告げる讃美歌を歌いましたか。言葉は想像を創造する事が出来ます。同時に、言葉は感情を創造する事が出来ます。緊急の時、恐れを起こします。「危ない!」「火事だ!」「ア!蛇だ!」又、言葉はその恐れを消す事も出来ます。「心配しないで、私はもうあなたと共にいますよ。」「あなたを愛します。」「もう大丈夫です。」「問題を直しました。」「蛇はもういない、もう来ない。」「戦争が終わりました。」と。

言葉は力強いですが、人間の言葉は形がある本当の物を作りません。 肉体が有るもの、食べ物、石などを造りません。食べ物を造る為に、「ピザがあれ」だけ言うと駄目です。「クリスマスのツリーの下にプレゼントがあれ」と  言ってもそのようになりません。しかし、神様にはそれをする力があります。彼の「光があれ」と言う言葉によって光が創造されました。「命があれ」と言われ、その通りに成りました。ヨハネによる福音書は言葉であるキリストについて語ります。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」

「言は肉となった。」これは、神様のアクションです。御自分の造られた世に来られるアクションです。全能の創造主は、創造物に成りました。創世記1章には、創造主が言われます、「光あれ。こうして光があった」。今度、イエスキリストには、新しい創造が有ります。これも光で始まります。即ち、福音の伝道の光です。ヨハネの福音書1章が言います、「1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」しかし、罪の暗闇がありました。キリストはその罪を赦す為に来られました。今も、罪は福音の光を暗くしようと思いますが、福音の真理と恵みが悪魔と罪より強いです。「1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

「言は肉となった。」これは全能の造り主なる神様である言です。これは福音を述べ伝えたイェス様です。肉体となって、イェス様は御自分の手で人に触れて、癒して、死んだ人を甦らせました。このイェス様は、御自分の体の上に、40日間、荒れ野で飢えました、ゲッセメネの園で祈る時に汗で血が出るほどしみました。鞭打ちの痛みをしみました。十字架上の侮辱と痛みを苦しみました。そして、御自分の聖なる体の上に、世の罪を取って死にました。そして、3日目にその同じ肉体をもって、清められて、お墓から甦られました。ですから、イェス様は私達の魂も私達の体の状態についても関心を持って下さいます。イェス様は私達の弱さを知っていますが、それなのに私達を愛して下さいます。ですから、大胆に私達は祈ります。私達の体や人生の為に、何でもかんでも祈ります。

「言は肉となった。」しかし赤ちゃんとして、一つの言葉でも話す事が出来ませんでした。ですから、福音が述べ伝えられたのは、天使によって、羊飼い達によって、星によってされました。そして今は、キリストは天に昇天されたので、私達は彼の代わりに福音を述べ伝えなければなりません。それをするにはクリスマスが良いチャンスです。クリスマスのストーリを話すと、2千年前に起こった事を、簡単に思い起こす事が出来ます。人は神様の愛が分ります。その愛を持って、神様は私達の人間の世界に入り、私達の人間の社会、毎日の人生に入り、私達人間の心と精神に入ります。そして今度、聖霊は信仰を造って下さいます。それで人々が救いの福音を受け入れて信じる事が出来ます。

1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。”

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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